藤尾城南端の曲輪跡である奈良柳生CC13番ホールグリーン脇に立つ説明板と石仏
地元の狭川氏或いは筒井順慶が築いた戦国時代後半の山城
所在地
奈良県奈良市下狭川町
【アクセス】
奈良柳生カントリークラブ13番グリーンから北側の山林が城跡
奈良柳生カントリークラブ:奈良市大柳生町4800、電話0742-93-0789
尚、 城跡内へは下狭川城跡脇の道から藤尾城跡への道を通って登城できるようですが、その道については、実際に登城してからにします。
形状
山城
現状・遺構等
【現状】 山林、ゴルフ場
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、竪堀、堀切、説明板
満足度
?????
訪城日
2016/02/03
歴史等
藤尾城は戦国時代後半の城です。築城者は不明ですが有力な候補としては、地元の狭川氏か或いはこの頃に大和国の統一を目指していた筒井順慶が挙げられます。
平成3年(2001)に城の存在が確認されました。5つの曲輪が連なる連郭式山城で、全長は約180m、各曲輪は長径30m前後の楕円形で周囲を1m前後の土塁がめぐり、各曲輪間には深さ約3mのV字型の堀切が設けられています。
奈良市東部山間にある山城の中でも極めて精巧な造りである上、良好に残り、ゴルフ場造成の際には、コースと重なる南端部は盛土で保護し、大半は緑地として保存しています。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
藤尾城は奈良柳生カントリー倶楽部のすぐ脇にあるということでしたが、なかなか分からずゴルフ場の方に教えてもらいに行くと、ありがたいことに副支配人のSさんが車で誘導してくれました
奈良柳生カントリー倶楽部の13番ホールのグリーンが南端の曲輪でグリーン付近は盛土がされ保護され、そこから北へ向かって伸びる丘陵が藤尾城跡とのことです。
勿論、ゴルフ場内から城跡へは鉄条網が遮り入って行くことはできず、ゴルフ場内から鉄条網をとおして覗くだけです(/。ヽ)。鉄条網付近の土塁も、恐らく往時のものでしょう!?
グリーンの脇下に説明板が立てられ、周囲には城跡付近に散在していたという石仏(磨崖仏)が集められています。
ところが、帰って来てか調べて分かったのですが、このあと登城した下狭川城跡脇の道から藤尾城跡への道があるのが分かりました。まさに事前調査不足でした(/。ヽ)。
土塁や空堀・堀切が残っているようなので、いつかリベンジしたいですね。
(2016/02/03登城して)
ギャラリー
南端の曲輪跡(奈良柳生CC13番ホールのグリーン)
奈良柳生カントリー倶楽部の13番ホールのグリーンが南端の曲輪で、グリーン付近は盛土がされ保護されています。
石仏(磨崖仏)群
グリーンの脇下の説明板脇には城跡付近に散在していたという石仏(磨崖仏)が集められています。その背後の土塁の奥が城跡ですが、緑地として保護されています。
土塁
城跡との間は鉄条網で遮られており、勿論、城跡内へ入って行くことは出来ませんが、鉄条網の外側の土塁も当時のものではないでしょうか?