大和 柳生陣屋(奈良市)

柳生陣屋屋敷跡の復元表示

柳生新陰流の開祖柳生石舟斉宗厳の子・宗矩が築いた陣屋

別名

正木坂陣屋

所在地

奈良県奈良市柳生町
【アクセス】
県道4号と国道369号が交差する「柳生」信号を南へと国道369号に入り、500m程南下すると右手(西側)前方に切り立った高台があります。それが陣屋跡で、陣屋の西側や南側に駐車場があります。案内板があるのですぐ分かると思います。

形状

陣屋(平山城) 標高260m、比高15m

現状・遺構等

【現状】 史跡公園
【遺構等】 曲輪、井戸、石碑、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2016/02/03

歴史等

柳生新陰流の開祖柳生石舟斉宗厳の子・但馬守宗矩が、関ヶ原合戦の軍功によって柳生の地に2千石を与えられ、以後、将軍の剣の師範として重用され、寛永13年(1636)には1万2500石に加増され柳生藩を開いた。
柳生陣屋は、宗矩が亡父石舟斉宗厳の菩提を弔うため芳徳寺を建て、引き続き3年の歳月をかけ寛永19年(1642)にこの地に建てたものである。
その後、3代宗冬により増築整備されたが、延享4年(1747)の火災により全焼し、仮建築のまま明治の廃藩により姿を消した。
『「現地説明板」、「日本城郭大系10」参照』

現況・登城記・感想等

陣屋跡は史跡公園として整備され、享保12年(1727)の記録に従って、往時の屋敷址が復元表示され、井戸跡が残っていますが、往時のものでしょうか。
陣屋は、小高い丘の上一帯に築かれ、県道4号線を挟んで対岸の山には、柳生新陰流正木坂道場や柳生氏の菩提寺である芳徳禅寺があり、そこから陣屋跡全体を見渡すことができます。
(2016/02/03訪れて)

ギャラリー

陣屋跡全景
柳生新陰流正木坂道場のところから見下ろした光景です。柳生陣屋跡全景がよく見え、周囲が切り立っているのがよく分かります。
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陣屋跡の建物復元表示
陣屋跡には小学校が建てられていたそうですが、昭和55年に史跡公園として整備され、享保12年(1727)の記録に従って、往時の屋敷址が復元表示されています。井戸が残っていましたが・・・。
IMG_0309

城址碑と「石舟斉と十兵衛の顔ハメ看板」
陣屋跡の南端部には城址碑が建てられ、その脇に石舟斉と十兵衛の顔ハメ看板が・・・。柳生といえば、やっぱり初代藩主宗矩でなく、柳生新陰流開祖の石舟斉と2代目の十兵衛三厳なんですね。
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