城跡脇を通る道路から全景を
在地領主・仁興氏によって築かれた連郭式山城
読み方
にこうじょう
所在地
奈良県天理市下仁興町
【アクセス】
国道25号線で天理ダムを越え、仁興口バス停のところから右へ曲がり、800mほど南下して、左へ曲がり下仁興集落へ向かいます。集落の背後(南)の山が城跡です。
形状
山城(標高425m・比高約40m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等」 曲輪、虎口、堀切、竪堀、説明板
満足度
?????
歴史等
仁興城主仁興氏は、室町時代頃に当地の周辺を治めた地侍(在地領主)で、英算・英勝・秀祐などの名が知られています。
武芸一辺倒ではなく、東山中(奈良盆地東側山間部)に点在した地侍で構成する柴田天神講に参画して連歌会を催すなど文化的な一面もあったようです。
仁興城は集落を見下ろす尾根上に築かれ、集落からは比高約40mにあります。
城跡から集落の入口が正面に見え、また東麓には南に続く道が通っていることから、集落への出入りを監視し、集落を支配・防衛する目的で築かれた城と考えられます。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
宇陀から龍王山城へ向かうべく北上すると、下仁興町の上に架かる橋の手前に「仁興城跡」の説明板を見付けました。
説明板を見ると、平成17年に発掘調査が行われ曲輪、堀切などが確認されたとのことです。
右(東)上の山が城跡らしいので登ろうかと思いましたが、フェンスがあり、その扉に鍵がかかっていたので断念(;>_<;)。いつか機会があったら登ってみたいと思います。
(2016/02/04)
ギャラリー
縄張図(現地説明板より)
平成17年の発掘調査によると、尾根の稜線に沿って3つの郭を一列に造成し、郭の間を堀で遮断する構造になっていました。
最も高い位置にある郭1は面積380㎡と最も大きく虎口と通路が見付かっています。隣の郭2は面積が110㎡と小さく、標高も郭1より1mほど低くなっています。
郭間を遮断する堀は、断面がV字~逆台形状で、幅約5m、深さ3mあります。
建物跡は、郭1で小規模な掘立柱建物1棟が見付かりましたが、仁興城の存続時期を直接示す遺物は見付かっていません。
城跡脇に立つ説明板
宇陀から龍王山城へ向かうべく北上すると、下仁興町の上に架かる橋の手前に「仁興城跡」の説明板を見付けました。
登城を遮るフェンス
説明板を見ると、平成17年に発掘調査が行われ曲輪、堀切などが確認されたとのことです。右(東)上の山が城跡らしいので登ろうかと思いましたが、フェンスがあり、その扉に鍵がかかっていたので断念(;>_<;)。いつか機会があったら登ってみたいと思います。