綺麗に修復された石垣と土塀
織田信長の弟有楽斉の四男長政を祖とする藩の陣屋
所在地
奈良県桜井市大字芝1177織田小学校
織田小学校:TEL0744-43-0100
形状
陣屋
現状・遺構等
現状:織田小学校
遺構等:石垣、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2008/02/04
歴史等
織田信長の弟長益(有楽斉)は、豊臣秀吉のお伽衆として仕え、秀吉死後の関ヶ原合戦では東軍に味方し、摂津・大和で3万石を領した。
元和元年(1615)8月、大阪夏の陣の後、所領を3分し、1万石を隠居料、他を4男長政、5男尚長(柳本藩主)に分与した。
元和8年(1622)、長政は式上郡戒重(桜井市)に1万石の陣屋を設けた。長政は地方知行制から俸禄制に移行したので、
陣屋周辺に居を移す家臣も増え、陣屋町の商工業も活発になった。このように長政は藩政の基礎を築いた。
その3代後の長清は好学の藩主で、元禄9年(1696)に大和国内で最も古い藩校「遷喬館」を創建した。また、
長清は芝村に陣屋替えを計画したが、財政事情もあり実現しなかった。
その後、7代藩主輔宣の延享2年(1745)、芝村へ陣屋移転を実現させ、以後芝村藩と称された。
最後の藩主11代長易の慶応4年(1868)正月、新政府より大和御料(朝廷支配地)の取り締まりを命じられた。
11代、約250年間にわたって在封したが、明治4年(1872)廃藩置県を迎えた。
『「大名の地図・中嶋繁雄著(文芸春秋刊)」、「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」より』
現況・登城記・感想等
陣屋跡には織田小学校が建ち、南面に低くて長い石垣が残り、校門の脇に簡単な説明板が設置されているだけである。
ただ、その石垣も、またその上の土塀も、あまりにもきれいに修理され、往時を偲べるようなものではない。
陣屋跡よりも、車で入って行くのが憚られるような、町中の曲がりくねって、しかも非常に細い道の方が、往時を偲ばせてくれる?!?
(2008/02/04訪れて)
ギャラリー
石垣と土塀