石見 三宅御土居(益田市)

三宅御土居の西土塁

益田氏の平時の居館

所在地

島根県益田市三宅町
泉高寺一帯が館跡で、すぐ傍に「おどい広場」があります。この付近一帯が居館跡で、無料駐車場があります。
泉高寺:益田市三宅町8-27

形状

現状・遺構等

【現状】 泉高寺、おどい広場ほか(発掘調査中)
【遺構等】 土塁、井戸、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2013/11/25

歴史等

益田氏の館であった三宅御土居は、南北朝時代に11代兼見によって築造されたといわれています。七尾城から益田川を隔てた対岸にきずかれたのは、農業用水と、益田川を利用して益田本郷地域へ供給される物資の流通を管理するためと考えられています。
戦国時代末期、毛利氏との対立から19代藤兼が一時本拠を七尾城に移しましたが、毛利氏との和睦に伴い20代元祥が三宅御土居を大改修して下城し、再び本拠としました。関ヶ原の戦いの後、元祥が長門国須佐に移ると廃絶し、江戸時代のはじめに益田氏の家臣がその場所に泉光寺を創建しました。
益田市ホームページより』

現況・登城記・感想等

泉高寺一帯が館跡ということですが、「泉光寺」と間違えて捜してしまい、道に迷いながら、西土塁だけ見て帰って来てきました(/。ヽ)。
東土塁周辺は「おどい広場」として整備されているようですが、西土塁周辺も発掘調査中のようで、土塁下の墓も取り壊されつつあるようでした。
(2013/11/25訪れて)

ギャラリー

西土塁上から館跡を
西土塁周辺も発掘調査が進んでいるようで、土塁下の墓も取り壊されつつあるようでした。あとで分かったことですが、正面奥が東土塁のようです。
IMG_5703

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