備後 相方城(福山市)

相方城主郭部南東面の石垣

備後南部地方宮氏一族の有地氏の城、毛利氏による大改修で石垣群が

読み方

さがたじょう

別名

佐賀田城、鬼ヶ滝加山城

所在地

広島県福山市新市町相方
【アクセス】
県道157号を500m程南下して芦田川を「佐賀田橋」で渡り、「佐賀田大橋南詰」信号を過ぎてすぐを右折します(曲がる所から要所に案内有)。そのまま道なりに進んで左手の住宅街を過ぎ、更に道なりに1.2km程進んで「新市工業団地」を通り過ぎます(正面上に石垣と主郭上のアンテナが見えて来ます)。
(新市工業団地脇道路から正面に見える相方城跡を望む)
01相方城を望む

その後、山道を上がっていくと山頂で道が行き止まりとなり、山頂まで車で行けます。但し、この山道は車1台が通れるだけの細い道で、対向車が来た場合、すれ違える場所は少ないです。山頂には車2~3台分の駐車スペースがあります。

所要時間

今回の見学時間は35分(素盞嗚神社を除く)でした。

形状

山城(標高191m、比高170m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、石垣、堀切、土橋、礎石、移築城門(素盞嗚神社)、石碑、説明板
素盞嗚神社:福山市新市町戸手1-1

満足度

★★★★

訪城日

2013/12/02

歴史等

芦田川を挟んで正面に見える亀寿山城(標高139m)を本拠として備後南部に勢力をもっていた国人領主の宮氏や、相方城より南の地域を本拠地としていた宮氏一族の有地氏などにより16世紀前半には、中世山城として整備されていた。
天文21年(1552)に宮氏が滅んだ後は、有地一族が出雲国や備後国北部などに給地替えされるまで、相方城を拠点に当地を支配していた。
その後は、毛利氏の直轄城となり、東方備えを目的とした近世城郭として整備され、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦による毛利氏の撤退によって相方城は廃城となった。
『現地説明板より』

「日本城郭大系13」と、相当、食い違っていますが、現地説明板は、かなり新しいものなので、こちらの方が史実に近いのではと判断しました。

現況・登城記・感想等

相方城は、東西に延びる尾根の最頂部の主郭の両側に連郭式に曲輪を設けた連郭式山城です。
そして、尾根のほぼ中央部の大規模な堀切で断ち切られ、東側郭群と西側郭群に分かれている。
当所の、見どころは何と言っても、打込みハギの石垣群でしょう。両側が断崖絶壁の狭い尾根の上に築かれた石垣群は感激ものです。
特に、長~く延びる主郭部南面の石垣が見応えがあるのですが、あまりにも急崖ぎりぎりに築かれているため、写真を撮るのもままならない状態です( ̄ー ̄;。北面にいたっては、写真を撮るのは不可能です(/。ヽ)。
また、城の上から見下ろす眺望は、まさに絶景です。
尚、城門(中門、北門)が、素盞嗚神社(福山市新市町戸手1-1)に、移築現存しています。
(2013/12/02登城して)

ギャラリー

相方城縄張図(現地説明板より) ~画面をクリックにて拡大~
相方城は、東西に延びる尾根の最頂部の主郭の両側に連郭式に曲輪を設けた連郭式山城です。
相方城縄張図

相方城主郭部縄張図 ~画面をクリックにて拡大~
尾根のほぼ中央部の大規模な堀切で断ち切られ、東側郭群と西側郭群に分かれている。
相方城主郭部

山頂部に到着
相方城は、切り立った山の上に築かれた山城ですが、車で山頂部まで登って来ることができます。そして、山頂部近くになると、壁面に打込みハギの石垣が現れます。縄張図の「郭9」の石垣です。
11西郭石垣

城址碑と説明板
登り切った処が西側郭群の「郭10」になります。ここに、城址碑がありますが、「佐賀田城趾」と刻まれています。この手前に車3台ほど停められる駐車スペースがあります。
13相方城石碑と説明板

【西側郭群へ】
西側郭群「郭9」へ
まずは、西側郭群へ向かい、土塁上を行くことになりますが、右下は絶壁です。
15西郭へ

「郭9」と土塁
「郭9」の西側には土塁が設けられています。
IMG_7631

「郭8」
「郭9」の南西先端部には、少し低くなった正方形の狭い削平地がありますが、縄張図によると「郭8」となっていましたが、どうなんでしょうね?
IMG_7628

「郭9」からの眺望
「郭9」からは、ほぼ360度のパノラマが望めます。当写真は北側の眺望ですが、芦田川の向こうに見える山が亀寿山城のようです。
17西郭からの眺望1

「郭9」から堀切を挟んで東側郭群を
車を停めてある処が「郭10」で、その向こうに東側郭群と西側郭群を断ち切る大堀切に架かる土橋が見えます。その向こうが東側郭群で、アンテナが建っている処が主郭です。
21西郭から東郭を

【東側郭群へ】
土橋を渡って東側郭群へ向かう
両側が急崖の大堀切に架かる土橋を渡って東側郭群へ向かいます、正面手前が「郭3」の石垣で、一段上が「郭2」の石垣です。
23東郭へ

「郭3」から「郭2」にかけての石垣
打込みハギの石垣が、なかなか見事です。これらの石垣を見て、織豊系大名による石垣かとも考え、福島正則が広島へ入ってからのものかとも思いましたが、毛利氏も、16世紀後半には、これほどの技術を持っていたのですね。確かに、輝元は、秀吉の大坂城を見て刺激を受け、広島城を築いているわけですからねえ。
25東郭南西部石垣

「郭3」への石段
南面に設けられた石段を登って「郭3」へ向かいます。石垣角部の一部には、既に、算木積みが用いられています。
27東郭石段

「郭2」への石段
「郭3」は非常に狭い郭です。そこから「郭2」へは、直角に右上へ登る石段で「郭2」へ向かいます。
29東郭石段2

「郭2」
「郭2」には、建物礎石と思われる石が幾つか確認できます。また、北東隅に石垣が立っています。写真正面奥の一段上が主郭ですが、大きなアンテナが立っていて、ちょっと興醒めです。
31東郭

「郭2」から堀切を挟んで「西側郭群」を
「郭2」に登り、振り返ると、大堀切を挟んで「西側郭群」が見えます。手前の石段のすぐ下が、ごく狭いですが「郭3」です。写真中央部に見える土橋の向こうが「西側郭群」で、最頂部が「郭9」です。
43東郭から西郭を

城址碑
この「郭2」の北東隅に立つ城址碑も、「相方城趾」でなく「佐賀田城趾」の文字が刻まれています。
33東郭石碑

主郭からの北西方面の眺望
「郭2」や「主郭」からの眺望も素晴らしいですが、すぐ下は絶壁で、怖いほどです。当写真は、「主郭」から北西方面を撮ったものです。
IMG_7654

主郭の東側の「郭5」から東方面の眺望
主郭の東側にも、狭い郭があります。「郭5」です。当写真は、「郭5」から東方面を撮ったものです。当城跡からは、どこからも眼下に広がる景色を望むことができます。

41主郭からの眺望

主郭部南西面の石垣
一旦、「郭3」から石段を下りて、主郭の東側下へ廻ります。主郭部の南面にはほぼ全面に石垣が設けられています。なかなか見応えがあるのですが、なにしろ石垣が右(南)側の急崖ぎりぎりに築かれているので写真を撮るのが大変です(;´▽`A``。
53南面石垣

主郭部(郭4)南東面の石垣
55南面石垣

「郭5」の南面の石垣
「郭5」周囲の石垣が、最も良好に残っています。
57南面石垣

「郭5」の東面の石垣
主郭部の東下の「郭7」から撮ったものです。
59東面石垣

「郭7」から東へ延びる尾根
縄張図によると、「郭7」から東へ延びる尾根にも段曲輪があるようですが、未整備なようだったので、途中(写真奥の林手前)まで下りてから引き返しました。
61尾根

【移築現存城門(素盞嗚神社)】
素盞嗚神社境内には、相方城の城門(薬医門)2棟が移築現存しています。かつては、櫓も1棟あったのだそうですが、1970年代の火災で焼失したそうです。
中門
相方城中門

北門
相方城北門

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