長門 櫛崎城(下関市)

復元された天守台石垣

関門海峡を押さえる長府毛利氏の城

別名

串崎城、雄山城、長府城

所在地

山口県下関市長府宮崎町6
【アクセス】
豊浦高校の東側の山が城跡。城跡の南部分は関見台公園となり、天守台が修築・復元されている。豊浦高校の裏(東)側に広い無料駐車場がある。
豊浦高校:長府宮崎町1-1、電話083-245-2161

駐車場から天守台までの所要時間

2~3分

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】 山林、関見台公園、居館跡は豊浦高校
【遺構等】 曲輪、石垣、天守台、石碑、説明碑

満足度

★★★☆☆

訪城日

2012/11/08

歴史等

櫛崎城は遠く天慶3年(940)西海に勢力をふるった藤原純友の配下稲村平六景家がこの地に拠ったとも伝えられているが、確かな記録はなく伝説の域を出ず、一応大内氏の重臣内藤左衛門太夫隆春が築城したものとされている。
後、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦において豊臣方に荷担した毛利氏は、防長2州に減封され、これにともなって、山口に居を構えていた毛利秀元が長州藩の支藩として、これを再築し長府藩5万石で入城、爾来、雄山城と称した。
元和元年(1615)の一国一城令によって取り壊され、隣接する敷地(現県立豊浦高等学校)に居館を置いた。
当時の城郭図巻によると松崎口、浜之坂口、三軒屋口に櫓建てがあり、現在櫛崎城趾の石碑が建てられているあたりが、松崎口で大手門二重櫓の跡とみられている。
『現地説明碑より』

現況・登城記・感想等

櫛崎城は、周防灘に面した、ちょっとした半島の、南西には関門海峡を望む地にある、比高約30mの丘陵地に築かれている。東と南は断崖絶壁となっており、北と西には人工を加えて要害の城に仕上げている。
南西端の曲輪の西端には、南と東に付櫓が設けられた、かなり規模の大きい天守台が復元されている。天守台上から望む、城下と関門海峡の風景はなかなかのものだ。尤も、天守台石垣は、あまりにも綺麗すぎて、本当にここに、こんな天守台があったのか疑心暗鬼にもなったが・・・(*^_^*)。
そういうわけで、その天守台よりも、駐車場から登って来る時に、右手上の雑木林の中に見えた古びた石垣や山麓に残る石垣の方が興味深かった。
中でも、古図に船手小屋(多分、三の丸でしょうか)となっている曲輪の西側に、南北に長く延びる高石垣は、現在では宅地裏になっていて、少し見づらいが、圧巻です。
ただ、断崖絶壁の海側から見る城跡の光景が素晴らしいのだが、時間的なこともあり見れなかったのが残念無念(;>_<;)
(2012/11/08登城して)

ギャラリー

櫛崎城址遠景(西側から)
櫛崎城廃城後の城主居館があった豊浦高校の南側から櫛崎城に向かうと、正面の丘の上に天守台が見えてくる。その、隣には鯨のオブジェが見える。
櫛崎城全景

林の中に石垣が・・・
城跡の西側にある駐車場に車を停めて登って行くと、早速、右手の雑木林の中に石垣が見えてくる。
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本丸へ
坂を登り切ると、本丸の北東部へ出る。
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天守台石垣
右の方へUターンするように入って行くと、妙に
美しい天守台石垣が現れる。下部には古い打込みハギの石垣もある。全体的に、あまりにも綺麗すぎて、実際ここに、こんな天守台があったのか疑心暗鬼になるほどでした(*^_^*)。
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天守台へ
天守台へは、南側から登って行くが、両側の植木は、何とも偽っぽい??
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天守台へ
登り切ったところから、さらに緩やかなスロープを登って南側の天守付け櫓へと行く。この辺りの石垣は野面積みに近い打込みハギですが、石が妙に新しすぎて・・・。
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天守台(南付櫓から)
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天守台上から南付櫓を
南付櫓には礎石が残っている。
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天守台上から関門海峡を見下ろす
天守台上からは、船が行き来する関門海峡が見える。正面の鯨のオブジェは、旧水族館の名残りらしいが、今では古びて入館できないようだ。
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東付櫓と本丸跡を
東付櫓は、南付櫓と較べると小さめだったようだ。
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三の丸西側の高石垣
三の丸の西下には長~く続く高石垣が良好に残っている。すぐ前には、民家が立ち並んでいるので写真が採りづらかったです。
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三の丸北西角
上写真の石垣の前を通って行くと、松崎口跡へ出る。石垣の上には、大手二重櫓が建っていたという。現在、建っている家も、まるで多聞櫓のようだが、普通の民家だそうです(*^_^*)。それにしても、この今にも崩れそうな、乱雑な石垣の積み方が、妙に興味深い?

この脇が松崎口で大手口のようだ。建物下の説明碑によると、「城郭図巻によると、松崎口、浜之坂口、三軒屋口に櫓建てがあり、現在櫛崎城址の石碑(建物左下)が建てられている辺りが、松崎口で大手門二重櫓跡とみられている」とある。
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豊浦高校の土塀
豊浦高校は長府陣屋跡に建つが、その北側には土塀が長~く延びている。このぼろっちさが、何とも情緒があります(*^_^*)。二ヶ所ほど入口があり、そこに松崎口、浜之坂口などとあったような気がするが忘れました( ̄ー ̄;。
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