芝山城跡(芝山神社)への登り口に立つ小さな城址碑
香西氏3代資茂が瀬戸内海諸島の警備のために構えた出城(海城)
読み方
しばやまじょう(何故か、日本城郭大系には「しさん」とルビがふってありますが、「しばやまじょう」が正しいようです。)
所在地
香川県高松市香西北町、芝山神社
【アクセス】
県道16号線の「香西北町」交差点のすぐ北の小山(芝山神社)が城跡です。車は、山の西側の空地に停めました。
所要時間
「香西北町信号」のすぐ北にある階段から芝山神社(南曲輪跡)まで4~5分。今回の見学時間は15分ほどでした。
形状
海城(標高43.6m、比高約40m)
現状・遺構等
【現状】 芝山神社
【遺構等】 曲輪、土塁、標柱、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2014/10/16
歴史等
芝山城は、香西氏3代資茂が、寛元年間(1243~47)に瀬戸内海諸島の警備のために出城を構えたのに始まる。以後、香西氏の制海権に関係する番城(海城の性格を帯びる)として、香西氏の家臣で直島に本拠を構えていた渡辺氏が守った。
天正10年(1582)、長宗我部元親による讃岐侵攻が開始され、香西軍は藤尾城周辺で最後の決戦を構えた。そして、激戦5日間、いよいよ落城かとみられた時、香川信景の斡旋により和議が成立し、香西氏は長宗我部元親の配下となった。
天正11年(1583)には、小西行長が軍船2隻に100人ほどの軍兵を載せてやってきて「主人秀吉の使者として推参した」との通告に対して、守将渡辺市之丞は「今、四国は長宗我部を大将にしている。話を承る筋はない」と大音声し、城内から大砲を打ちかけて追い払ったという話が伝えられている。
しかし、天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐に敗れ、香西氏18代佳清は野に下り、芝山城も廃城となった。
『日本城郭大系15ほか参照』
現況・登城記・感想等
芝山城は、かつては海に浮かぶ島であったという南北に細長い独立丘に築かれた城です。
現在は芝山海浜公園となっていて、山頂の岩がゴツゴツ露出したところに芝山神社が鎮座しています。
神社境内が南の丸で、神社社殿の北側の一段下がったところが本丸です。また、かつては本丸の北側には北の丸があったそうです。
山頂からの光景はまさに絶景で、瀬戸内海に浮かぶ島々が遥か向こうまで見渡せ、ここに出城(海城)を築いたのも頷けます。
(2014/10/16登城して)
ギャラリー
芝山城全景
芝山城は、かつては海に浮かぶ島であったという南北に細長い独立丘に築かれた城で、東西両側が崖になっています。当写真は西側から撮ったもので、左側が北で、瀬戸内海方面になります。
登城道
山の南側にある階段を登り、北へ向かって一直線に登って行きます。尚、登城口は、北側にもあります。
山頂部に鎮座する芝山神社
山頂の南の丸跡には芝山神社が鎮座しています。神社手前には大きな岩が露出しています。
南の丸
南の丸は露岩が多く、狭い上、きちんとした削平地ではありません。
南の丸(山頂部)からの眺望
山頂(南の丸)からの光景はまさに絶景で、瀬戸内海に浮かぶ島々が遥か向こうまで見渡せ、ここに出城(海城)を築いたのも頷けます。
本丸への虎口
南の丸から北へ向かって行くと、少し広い平坦地となります。当写真は平坦地への入口で虎口付近になります。本丸跡には土塁が残っているとのことですが、見落としてしまいました(;´▽`A``