讃岐 前田城(高松市)

前田城本丸前(東側)の空堀と土橋

十河氏の分家前田氏の居城

所在地

香川県高松市前田西町462-2、宝寿寺
【アクセス】
県道30号線と県道42号線が交叉する「前田西町」信号から50mほど北上し、右前方に入る細い道へ入って行きます。そこを150mほど北上(この辺りの左側の空地に駐車)した右手の小高い丘が城跡で宝寿寺があり、その西側の森が本丸跡です。駐車場がないので道端の空地に停めました。

所要時間

今回の見学時間は15分弱でした。

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】 森(墓地)、宝寿寺
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、標柱、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2014/10/16

歴史等

前田城は、前田頼母頭宗存が十河城主十河景滋(存春)の分家として文明年間(1469~1486)に、この地に移住し、築いたものである。
3代城主甚之丞宗晴の時の天正10年(1582)に、長宗我部元親が讃岐に侵攻して十河城に迫った時、前田氏は十河氏に味方して功績を挙げたという。
しかし、前田城は同年8月に長宗我部軍の侵攻にあい落城した。
『「日本城郭大系15」、「現地説明板」参照』

現況・登城記・感想等

前田城跡は周囲より5~6mほど高く、本丸跡は木立に覆われれ、周囲に前田氏の墓が並んでいます。
本丸跡へは、明瞭に残る空堀に架かる土橋を渡って入城します。また、本丸跡には土塁も残っています。
道路を隔てて二の丸跡には宝寿寺が建っています。
(2014/10/16登城して)

ギャラリー

本丸虎口手前の空堀に架かる土橋
本丸虎口の手前(東側)には空堀が残り、土橋が架かっています。虎口には城址碑が立っています。
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本丸南東部の空堀
本丸の手前(東側)の空堀は、本丸の南東部をめぐるように残っています。
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本丸跡
本丸跡は木立に覆われれ、周囲に墓が並んでいます。多くが、前田家の墓となっていましたが、城主前田一族の墓でしょうか?
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本丸の土塁
本丸の東側をはじめ、明瞭に土塁が残っています。
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二の丸跡
道路を隔てた東側の二の丸跡には宝寿寺が建ち、その東側には墓地があります。ここからは周囲が見渡せ、それなりに要害の地にあることが実感できます。
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