権現社への参道前に建つ城址碑と説明板
高松頼重が讃岐守護職として構えていた城、もとはこの城が高松城
別名
高松城
所在地
香川県高松市高松町1625-15(喜岡城)
形状
平城
現状・遺構等
現状:喜岡寺
遺構等:石碑、説明板
満足度
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訪城日
2007/04/30
歴史等
鎌倉時代の末期、建武の中興の功臣・舟木(高松)頼重が讃岐守護職としてこの地に城を構えていたが、建武2年(1335)
11月26日、足利尊氏の臣・細川定禅らの軍勢に攻められ、老父一族14人と郎党30余人が討死し、落城した。
その後、ここ高松城にて高松庄を領した高松左馬助頼邑は、天正13年(1585)4月26日、秀吉の四国征伐の一隊(宇喜多秀家ら7将の兵)
約2万3千の攻撃を受け、手兵100人余と、香西氏派遣の唐人弾正、片山志摩の率いる兵、合わせてわずか200をもって勇敢に戦ったが、
衆寡敵しがたく城兵一人残らず討死した。
高松頼邑・唐人弾正・片山志摩の墓は、喜岡寺境内にある。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
喜岡寺の山門前と権現社への参道前にそれぞれ「高松城址」の立派な石碑と説明板がある。
玉藻城が築かれるまでは、こちらが「高松城」であったようだ(そういえば、住所もここは高松町である)。
喜岡寺は随分立派な寺で、また権現社は周りよりもやや高くなっているのが城址らしいと云えば城址らしいかな?
(2007/04/30訪れて)
ギャラリー
喜岡寺山門前にある「高松城跡」の石碑
権現社への参道前の碑も高松城となっている。玉藻城が築かれるまでは、
こちらが「高松城」であったようだ。そういえば、ここは住所も高松町である。