土佐 松尾城(佐川町)

松尾城、二ノ段下の畝状竪堀

南朝方佐川四郎左衛門の居城、中村氏が居城後、長宗我部時代に佐川城へ移る

所在地

高知県高岡郡佐川町甲(松尾山)
【アクセス】
JR土讃線「佐川駅」北方の沢田整形外科がある交差点を右折して細い路地へ入り、150m程東進すると左手奥に松尾八幡宮があります。松尾八幡宮の裏が登城口で、松尾八幡宮前の一段低いところにある空地に駐車可。
沢田整形外科(佐川町甲2317−14、0889-22-3222

所要時間

松尾八幡宮から二ノ段下まで15分弱、今回の所要時間は55分。

形状

山城

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、堀切、竪堀(畝状竪堀群)、標柱、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2015/02/19

歴史等

松尾城は、南北朝時代に南朝方の重鎮佐川四郎左衛門が居城した。
しかし、興国元年(1340)北朝軍と戦い敗退し、さらに翌2年(1341)には津野連合軍に敗れ、城を放棄した。 その後、津野氏の縁者佐川越中守(中村氏)が占拠し、津野氏は当城を前線基地として180年に及び覇を争った。
群雄争奪、城主の変遷を経た後、長宗我部氏の重臣・久武内蔵助の居城となったが、当城のある松尾山の水不足を嫌い、対岸の古城山に城を移し廃城となった。
『現地(松尾八幡宮境内)説明板より』

現況・登城記・感想等

松尾城跡は、竪堀や堀切が駆使された山城ですが、中でも、二ノ段下にこれでもかというほど掘られた畝状竪堀群が兎に角凄いです。
20条以上ありそうです。これほど竪堀が並ぶのを見るのは初めてですw(*゚o゚*)w。
ただ、縄張図を持参しなかった上、あまりにも木々が密集していて、二ノ段がてっきり詰ノ段かと思い込んでしまい、詰ノ段へ行かなかったのが悔やまれます(/。ヽ)。
それでも、物凄い畝状竪堀群を見ることができただけでもラッキーでした。もう少し、整備が行き届いていたら★★★★☆、或いは★★★★★ですね。 
(2015/02/19登城して)

*帰京後、全体像が掴めなかったので、佐川町教育委員会から縄張略図を送って戴きましたが、登城前に戴くべきでした(;´▽`A``。

ギャラリー

松尾城跡遠景(南側から)
00遠望

松尾八幡宮
松尾八幡宮背後の山が松尾城跡です。神社の境内には説明板(立札)が設置されています。城跡へは、神社の裏から登ります。
01松尾八幡宮

登城口
土橋を渡って登ります。土橋の奥(写真やや右上)に、標柱がありますが、倒れています。
03登城口

登城道
登り始めて、すぐに道が分かり辛くなりますが、右の方へ向かって登って行くと登城道が現れ、それを登って行くと堀底道のようになります。
05登城道

物見台?下の曲輪?
堀底道を登り切ると、物見台(写真左)と思われる土塁東下の平坦地(曲輪?)へ出ます。曲輪は、東から南の方へめぐっています。
07物見台下の平坦地

物見台?
物見台の高さは3mほどです。物見台上は、結構広く2段になっています。また、低いながらも周囲に土塁が確認されました。 
09物見台

物見台上から曲輪を
物見台?も、その下の平坦地(曲輪)も、かなり広いことを考えると、単なる物見台というよりも、出城的なものではないでしょうか?
或いは、佐川町教育委員会で戴いた縄張略図には、この周辺が、全く載ってないので、後世になって、何かの目的で改変したものかもしれません。
このあと、尾根(写真奥)を東の方へ向かって歩いて行きました。

11尾根道

堀底道
物見台から5~6分ほど尾根道を進むと、途中から堀底道になり、正面に土塁が現れます。二ノ段の切岸です。
13堀底道

畝状竪堀群の畝
二ノ段の左下を見ると、コブのような土盛りがいっぱい並んでいます。畝状竪堀群の畝の最上部分です。
15畝土塁

畝状竪堀
スゴイです。この畝状竪堀は、二ノ段の南東下から西面下にかけて20条以上ありそうです。これほど多くの竪堀が並ぶのを見るのは初めてですw(*゚o゚*)w。
17畝状竪堀

二ノ段下の斜面を
畝状竪堀を見下ろしながらに西へ廻りこんで行きます。写真下部に見えるのは畝状竪堀のコブ(土盛り)です。
19二ノ段斜面

巨岩が
二ノ段の北端下辺りへ廻りこんで来たら、正面に巨岩が現れ行く手を遮りました。止むを得ず、ここで戻ることにしました。
21巨岩

畝状竪堀
戻るついでに畝状竪堀を・・・。ここからは、切岸を強引に登って二ノ段へ向かいました。
23畝状竪堀

二ノ段
二ノ段は、いびつな楕円形で、北端部分が狭くなっています。周囲に、土塁などは設けられていません。
25二ノ段

二ノ段北端部の巨岩
狭くなった北端部の先には、亀の首のように巨岩が・・・。先程の巨岩ですが、この上に三角点があります。この三角点を見て、すっかり、この曲輪が詰ノ段であると思ってしまいました。巨岩下は勿論、その手前の細い部分の両側も絶壁です。
27巨岩

巨岩前から二ノ段を
29巨岩前から二ノ段を

二ノ段の腰曲輪
二ノ段の南下には腰曲輪が設けられています。
33腰曲輪

二ノ段と詰ノ段の間の大堀切
二ノ段の東下を覗くと、規模の大きな堀切が見えました。あとで、分かったことですが、堀切の向こうが詰ノ段です。このあと、堀底へ下りていこうと思ったのですが、下りる道が分からず断念しました。今から思えば、強引に下りて行くべきでした(;>_<;)。
堀切

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