土佐 須崎台場(須崎市)

須崎砲台の弓状に延びる土塁内側の石垣

幕末、海岸防備のために須崎に築いた3ヶ所の砲台の一つ

別名

須崎砲台

所在地

高知県須崎市中町2丁目6-5、西浜歴史公園
【アクセス】
西浜歴史公園は地図にも載っており、中町2丁目を目指して行けば、すぐ分かると思います。駐車場はありません。

形状

台場

現状・遺構等

【現状】 西浜歴史公園(国指定史跡)
【遺構等】 土塁、石垣、砲座、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2015/02/19

歴史等

幕末、異国船の来航があり、海岸防備のため藩命により文久3年(1863)7月に着工し1ヶ月半の短時日に完成した。
須崎には西、中、東の3ヵ所に台場が築かれたが、そのうち現存するのはこの西台場のみである。規模が最大で長さ116メートル、砲門7座、内側には弾薬室が7ヵ所あったが、明治初年埋められた。この砲台跡は明治40年、須崎町が払下げをうけ、公園として保存してきた。当時使用した砲弾が残っている。
慶応3年(1867)8月6日、イギリス水夫殺害事件で行使バークスは土佐藩と交渉するため軍艦(バジリスク号)で須崎港に入港し、幕府艦(回天丸)や坂本龍馬も来港して外国交渉の舞台となった。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

須崎砲台は、須崎市南部の住宅地の中に残り、「西浜歴史公園」として整備されています。
砲台の高さは2mほどで、海に向かって弓状に築かれています。
内側には、しっかりした石垣が築かれ、7ヶ所の砲座が設けられています。そして、中央に砲台上に登る傾斜道、東西両側に石段が設けられています。
尚、砲台のすぐ前(海側)を土讃線の線路が通っていて、何となく違和感が・・・(苦笑)。とはいえ、混み入った住宅地の中に、よくぞこれほどの遺構が残されていたと思うと嬉しいですね(*^_^*)。
(2015/02/19訪れて)

ギャラリー

須崎台場古図(現地説明板より)
文久3年(1863)に完成した古図だそうです。
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砲台全体を(西側土塁上から撮影)
弓状に土塁が延びています。東西116mもあるので、正面からはとても全体を移せません。
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正面から
正面には、砲台上へ坂道が築かれています。そのすぐ前を土讃線が通り、さらに30~40m先は須崎湾です。
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東部分を
砲台上には8つの土塁(石塁)が築かれています。その間が砲座になっています。左に見えるのは、東側の石段です。砲台の内側は児童公園になっています。
IMG_4879

石段
砲台上に登る西側の石段です。
IMG_4882

砲台上
凹んだ部分が砲座です。
IMG_4886

砲台外側
砲台の外側には、石垣が築かれていません。土塁のすぐ傍を土讃線が通っています。
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須崎湾を望む
須崎砲台の南には須崎湾が・・・。その向こうには太平洋が広がっています。
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