筑前 花尾城(北九州市)

三の丸への虎口周辺の石積みと石段

遠賀郡麻生氏の居城

所在地

福岡県北九州市八幡西区鳴水、花尾公園
【アクセス】
JR「八幡駅」から国道3号で200m程西進した「西本町3」信号を南へ入ります。2km程南下した「花尾町」信号を右折し、600m程西進して道なりに左急カーブし、都市高速を越えて150m程東進して右急カーブの途中で左折します。800m程坂道を上がって行くと道路左手に「花尾公園 花尾城址」の案内があるので、ここから登ります。登城口に約3台の駐車スペースがあります。

所要時間

駐車場所から本丸跡まで約20分

形状

山城(標高348m)

現状・遺構等

【現状】 花尾公園(山林)
【遺構等】 曲輪、石垣、土塁、櫓台、竪堀、堀切、井戸、石碑、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2012/11/13

歴史等

花尾城は、建久7年(1196)に宇都宮重業が築いたという。
重業は、こののち麻生氏を称し、遠賀郡麻生氏の祖となった。麻生氏は、遠賀郡及び下鞍手郡を領有し、数代居城した。
明応年間(1492~1501)には大内氏の麾下となり、麻生家春は周防国山口に出仕し、花尾城には嫡子家延が残った。
家春死後の文明10年(1478)に、麻生家延と弘家(家春の弟)との家督争が起こると、大内政弘が介入し、花尾城に籠城する家延を攻めたが、花尾城は3年間の攻防戦にも耐えて落城しなかったため、大内氏側から和議をもちかけ、家延は遠賀荘を得て岡城城主(遠賀郡岡垣町吉木)となり、弘家が花尾城主となった。
その後、天文年間(1532~55)に一時、大内家重臣の相良武任が城主となったが、永禄年間(1558~70)に再び麻生氏の城となり麻生鎮里が城主となった。
永禄10年(1567)、本家の山鹿城主(遠賀郡芦屋町山鹿)麻生隆実と不和になり合戦となり、花尾城は落城し、鎮里は薩摩の島津氏を頼った。
花尾城は、その後、山鹿麻生氏により修築されたが、天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州征伐を経て、小早川隆景が筑前国を領すると、麻生家氏は浪人となり、城は廃城となった。
関ヶ原合戦後に、黒田長政が筑前国に入封した時、家氏は領地を与えられたが、故合って出奔し、弟の麻生四郎右衛門が黒田氏の家臣となって明治に至った。
『日本城郭大系18他参照』

現況・登城記・感想等

花尾城址は、曲輪、石垣、堀切、櫓台などの遺構が良好に残り、なかなか見応えのある城址であった。
往時は、かなりの部分を石垣で固めてあったのか、山の至る所に崩れ落ちた石垣やその石が転がっていた。
また、本丸からの眺望は素晴らしく、北九州市の市街が一望のもとに見渡せる。
そういうわけで、充分、満足して帰って来たのだが、な・な~んと! 当城址の最大の見どころらしい「石組み井戸とその周辺の石段石垣遺構」を見落としたのが分かったがあとの祭り(;>_<;)。
また、いつか見直したいと思うが、無理だろうなあ。準備不足だったと反省するばかりです(/。ヽ)。
(2012/11/13登城して)

ギャラリー

登城口
登城口へは、途中不安になるような細くて薄暗い道になり対向車が来ないことを祈りながら登って来たが、対向車もなく無事登城口に到着。朝からの本格的な雨の中を登るような奇特な人はいないのでしょう(苦笑)。登城口には、3台ほど置ける駐車スペースがある。
この登城口から、写真右へ行く「西登山道」と、左へ行く「東登山道」「中登山道」のコースに分かれ、いずれも「20分」となっています。私は、「中登山道」を登り、「東登山道」で降りて来ました。

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石垣が
登城口から歩き始めると間もなく、右手上に石垣が見えてくる。ちょっとした居館の石垣だろうか?
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分岐点
石垣の下を少し進むと、「東登山道(左)」と「中登山道(右)」の分岐点へ出る。私は、右へ曲がって中登山道を・・・。
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石積み
中登山道を登って行くと、所々に石積みが見られる。土留めのための石積みでしょうが、往時のものか、最近のものかはわかりません。最近のものにしては、積み方が稚拙なので、往時のものと考えておきましょう(*^_^*)。
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櫓台のある曲輪
しばらく登って行くと、標柱に「ヤグラ台跡」と書いてある平坦地へ出る。標柱は平坦地中央隅にあったが、多分櫓台があったのは突端(写真奥)の少し盛り上がったところではないでしょうか??
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四の丸
本丸に向かって、さらに歩いて行くと、四の丸へ出る。四の丸には礎石と思われる石がいくつか確認できる。
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三の丸への虎口周辺の石垣と石段
三の丸へは石段が続く。三の丸のすぐ下は石積みで固められている。
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三の丸
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二の丸
取り立てて特徴のある曲輪ではないが、曲輪のあちこちに大きな石が転がっている。中には、礎石かもと思われるような石もある。
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本丸への虎口
登城口から登ること20分ほどで本丸に到着です。この本丸虎口もそうですが、全曲輪とも、複雑な構造ではなく平虎口です。
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本丸
本丸は花尾山山頂部にあり、眺望が良い。本丸の東隅土壇上に「華尾城」と刻まれた石碑が立っている(華は行書体文字?)。土壇上は櫓か何らかの建物があったのでしょう。
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土塁
本丸西側には、それほど高くはないものの土塁が残っている。
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本丸からの眺望
本丸の北側は眺望がよく、北九州市街が見渡せるが、今日は朝からの雨(この時は、しばらく止んでいたが)で・・・(/。ヽ)。写真左のこんもりした森は黒崎城址です。
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本丸東下の曲輪
本丸の東側一段下にむ曲輪がある。ここから道は、「古井戸を経て馬場」と「櫓台を経て馬場」の2つに分かれる。古井戸方面を様子見に少しだけ下りて行ったが、かなりの急勾配な上、朝からの雨でぬかるんで滑りやすいため、櫓台へ向かうことにした。
ところが、これが大失敗で、花尾城跡の最大の見どころ「石組み井戸とその周辺の石段石垣遺構」を見落としたのです(/。ヽ)(/。ヽ)。

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石垣
櫓台方面へ下りて行くと、所々に石垣が・・・。こういった石垣は、やたらと見掛けた。
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堀切
さらに下りて行くと堀切へ出た。自然の地形に手を加えたものでしょう。ここに案内板があったが、これが実に分かり辛い。堀切を渡って(写真左上へ)登って行くことにした。
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櫓台?
登り切ると、そこは馬場跡へ出るが、その左手上は高さ5mほどの櫓台のような地形です。登って行ったら東屋跡らしきものが残っていた。ここが、堀切(或いは堀底道)の真上になり、防御の上で重要な場所であることや、台上の広さから考えてみるにかなり大きな建物があったのではと思われる。
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馬場
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堀切
馬場の中を通り下山して行くと、まさに「ザ・堀切」といった見事な堀切が現れる(*^_^*)。これは、明らかに人工的なものでかっこいいです。
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堀底にて撮ったものです。
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竪堀
堀切は、当然、両側とも竪堀となって山裾へと落ちて行っています。当写真は竪堀下から撮ったものです。
竪堀は、上から撮ると、何だか分からなくなりますが、下から撮ると比較的分かりやすいですね。

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櫓台
堀切の反対側は、櫓台跡で、その碑お立っていましたが、周囲を墓がぎっしり。御子孫の方で、ここまで登って来てお参りする方はいるのでしょうか?
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石垣
登城口へ戻って行くと、至る所に石積みや崩れた石を確認できる。
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