豊前 松山城(苅田町)

主郭虎口の石垣と九十九折れの石段

古代より幾度も戦いのあった豊前国第一級の要塞の山城

所在地

福岡県京都郡苅田町松山
【アクセス】
北九州市内から国道10号線で来た場合、「バイパス朽綱」信号で県道25号線(北九州空港方面)に入る。2.4Km先の「空港・IC入口」信号を左折し(北九州空港へ向かい)、200m先の「苅田臨空産業団地」信号を右折する。200m先を左折し、150m先を右折し松山集落に入る。橋を渡って250m先で左折すると、100m先右手が*松山公民館です。ここから300m先がY字で左手に進む(松山城の標識あり)。さらに300m先に松山城登城口があり駐車場(5~6台ほど駐車可)が完備されている。
*松山公民館:福岡県京都郡苅田町松原町10−47

所要時間

駐車場から主郭まで20分弱。

形状

山城(標高128m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、石垣、石段、土塁、空堀、竪堀、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2012/11/13

歴史等

松山城は、古記「豊前古城記」によれば、天平12年(740)に「藤原広嗣の乱」の時に、広嗣によって築城されたとされる。
「藤原純友の乱」の時には、天慶3年(940)に地元の侍・神田光貞がこの城に立て籠もったという。神田氏は以後18代この城を守った。
保元2年(1157)、平康盛が神田氏を滅ぼし、3男信盛を置いたが、信盛の子吉盛は安徳天皇の宇佐行幸に仕え、赤間ケ関で源氏と戦い入水して滅亡した。
その後、幾度もの戦乱にみまわれ、緒方氏・長野氏・少弐氏・大内氏・大友氏・大内氏・大友氏・毛利氏の諸将が相次いで居城した。この間、弘治・永禄年間(1555~70)には、毛利氏と大友氏の激しい城争奪戦が行なわれた。
天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州平定後には、豊前のうち6郡(京都・仲津・築城・上毛・下毛・宇佐)が黒田如水に与えられ、黒田氏の城番が置かれた。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦後は、豊前中津に移封された細川忠興の支城となり城番が置かれたが、慶長11年(1606)に廃城になった。
『「日本城郭大系18」、「平成20年5月号別冊付録・織豊系城郭見どころ事典」、「現地説明板」他参照』

現況・登城記・感想等

周防灘に突き出た半島に聳える山が、かつては豊前国第一級の要塞の山城といわれた松山城である。尤も今では、周囲の埋立てや北九州空港建設などで一変しているようだが・・・。
松山城跡への登城道はよく整備され、20分弱ほどで主郭周辺へ辿り着く。
山頂部の主郭と二ノ郭周辺部は、主郭北側の九十九折れに屈する石垣と石段、二ノ郭との間の石段と石垣、二ノ郭周囲の土塁、主郭下をめぐる横堀等々、見どころが多い。
また、主郭には発掘調査の結果、基壇と礎石をそなえた建物が屋根瓦を葺いて建っていたと推測されるそうだが、主郭周辺部そこかしこに瓦片が散らばっている。
主郭からの眺望は素晴らしく、360度のパノラマが楽しめる。
ただ、三の郭や小城は採石のため破壊されたようで、ロープが張り巡らされ進入禁止のようだ。
しかい、主郭部の西側には空堀が良好に残っているようだったので、もう少し見学範囲が広がれば、さらに見応えのある城跡になるのだろうけどねえ(/。ヽ)。
(2012/11/13登城して)

ギャラリー

豊前松山城縄張略図(余湖くんのホームページより)
松山城縄張図

【登城記】
登城口駐車場
いろんなネットで調べると駐車場所がないようで心配したが、最近設置されたようで、5~6台は充分停めることのできる駐車場が完備され、説明板が設置されていた。写真右側の道を進んで山へ向かうのです。
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登城口
上写真右側の道を進むと、左手に松山城跡の山が見えてくる。
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登城道
登城道は、非常によく整備され、途中、眼下の景色を楽しみながら登ることができる。
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登城道途中の平坦地からの光景
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主郭下の空堀と土塁
駐車場から歩き始めて20分弱で左手に主郭下の空堀が現れる。外側には2m弱の土塁が設けられている。主郭側の切岸はゆうに10m以上はある。往時は、多くが石垣で固められていたのか、空堀内には石がいっぱい転がっている。 
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二ノ郭
空堀を左手に見て進むと、今度は右手に二ノ郭が現れる。二ノ郭は周囲を土塁がめぐっていて、すり鉢状になっており、下りて行くのに石段が設けられている。
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二ノ郭から主郭方面を
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二ノ郭北側の空堀
二ノ郭周囲は危険なためか、ロープが張られているが、北側下を覗いてみると、良好に残っている空堀が見える。
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主郭下腰曲輪への石段
主郭下腰郭へは、見応えのあるクランク状に曲がって登る石段遺構が残っている。写真奥上の高台部分は主郭。
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腰曲輪から主郭を
石段を登ると主郭下の腰曲輪へ出る。二ノ郭にも散らばっていたが、ここにもそこらじゅうに瓦片が散らばっていた。主郭には発掘調査の結果、基壇と礎石をそなえた建物が屋根瓦を葺いて建っていたと推測されるそうだが、この辺りにも建っていたのだろうか?
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主郭虎口の石段と石垣
主郭への虎口もぐるっと廻るように石段があり、主郭下には石垣が残っている。
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主郭虎口の石垣
石垣は良好に残っているとはいえず、この辺りの石垣が最もよく残っているほうです。
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主郭上
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主郭からの眺望(東北東方面)
主郭からの眺望は素晴らしく、360度のパノラマが楽しめる。この写真は、東北東方面で北九州空港が見える。
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主郭からの眺望(南南東方面)
苅田港方面で、神の島が見える。右奥の方には、かすかに国東半島が見えるが・・・。この写真では無理でしょうね(汗)。何せ、天気があまり良くなかったもので・・・。 
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主郭からの眺望(北西方面)
正面の山は足立山。
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主郭西下の腰曲輪から主郭を
石垣が多少残ってはいるが・・・。
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主郭北側下の空堀と土塁を見下ろす
主郭の西下にも空堀と土塁が良好に残っており、是非、入って行きたいところだが、進入禁止の上、入って行ける状態ではなかった( ̄ー ̄;。この辺りも、入って行けるようになれば、さらに見応えのある城跡なのでしょうね。
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