本丸跡へ一気に登る石段と高石垣
松浦党始祖源久の曾孫栄が有田氏を称し築城、その後十数代続く
読み方
とうせんじょう
別名
有田城
所在地
佐賀県西松浦郡有田町山谷牧甲2322-2,3,5他(八坂神社、山田神社)
【アクセス】
松浦鉄道「山谷駅」の南東約500mにある八坂神社と山田神社が城跡。山谷駅の南から県道344号で南東へ300m程進み有田川を渡る。少し進むと右手に神社があるので右折する。神社に駐車可能。
形状
平山城
現状・遺構等
【現状】 山田神社(山麓)、八坂神社(山腹)
【遺構等】 曲輪、石垣(但し、その多くは大正時代に積まれたもの)、のろし台、竪堀、説明板ほか
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2012/11/09
歴史等
中世の松浦地方は、松浦党と呼ばれた小豪族が割拠しており、彼らは都から下向した源久(ひさし)という貴種を共通の始祖として仰いでいた。
久の曾孫の栄は有田氏を称し、現在の伊万里市二里町大里から有田町に及ぶ有田郷を相続し、天然の要害である唐船山に築城した。有田郷の相続時期と唐船城の築城年代ははっきりしないが、12世紀後半に遡る可能性がある。
栄の4代後に嫡男がなく、今福の松浦宗家が唐船城主を兼ねるようになった。
天正5年(1577)、肥前の平定を目指す龍造寺氏に攻められるが、和睦して家臣となり、龍造寺氏が唐船城主となった。
その後、龍造寺・鍋島両氏の政権交代により、松浦信明・有田茂成が居城するが、天正18年(1590)廃城となった。
『現地説明板他より』
現況・登城記・感想等
有田川に架かる円後橋に差し掛かると正面に唐船城址の立派な石垣と石段が嫌でも目に入ります。
縄張りは、神社鳥居側にある案内板脇から本丸へ一直線に登る石段を登ります。中腹部の削平地に本丸を置き、本丸まで斜面を3段に削平し、各曲輪を石垣で固めています。
ただ、これらの石段と両側の高石垣が、あまりにも立派な上、綺麗に積まれており胡散臭を感じましたが、この急斜面全体に張り付いた高石垣は、やはり往時のものではなく、大正時代に地元の青年たちが積んだものだということでした。
(2012/11/09登城して)
ギャラリー
唐船城址全景
有田川に架かる円後橋を渡ると、正面に立派な石垣と石段が見えてきます。
内堀跡
唐船城址正面下には内堀があったそうですが、今は、田んぼ用の細い水路になっています。
説明板と石垣
駐車場に車を置いて、唐船城址である山田神社へ向かうと、左手に説明板が立ち、その裏側には苔むした立派な高石垣があるので驚き!
本丸へ一気に登る石段
城址正面にある、この石段のところに歩いて来るまでにも左手上には立派な高石垣があ。また、この石段と両側の高石垣の見事なこと。あまりにも立派な上、綺麗に積まれており胡散臭を感じましたが、この急斜面全体に張り付いた高石垣は、やはり往時のものではなく、大正時代に地元の青年たちが積んだものだということでした。
二の丸跡
説明板の縄張り略図によると、最初の石段脇が二の丸のようですが、この辺りだけが削平がやや甘いようでしたが、二の丸というより狭い腰曲輪のような感じです。
本丸
山の山腹、削平地の最上段が本丸ですが、あまり広くはありません。尚、今は八坂神社の祠が鎮座しています。
天然の外堀「有田川」を
有田川は、唐船城をぐるりと回って流れ、天然の外堀の役目をしていたのがよく分かります。
のろし台跡
本丸背後の山へ強引に登って行くと尾根の上に出ますが、さらに登って行く坂道があり、その頂上部がのろし台跡です。