肥前 吉野ヶ里(吉野ヶ里町、神埼市)

北内郭周囲をめぐる空堀と主祭殿、右奥には物見櫓

「幻の邪馬台国発見か?」と大ブームを巻き起こした弥生時代国内最大級の環濠集落

所在地

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843(吉野ケ里歴史公園)‎
佐賀県神埼市神埼町田道ケ里

形状

環濠集落

現状・遺構等

【現状】 吉野ヶ里歴史公園
【遺構等】 復元(住居・祭殿・櫓・倉庫他)、空堀、土塁、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2012/11/12

歴史等

弥生時代前期(紀元前3~前2世紀)、吉野ヶ里の丘陵一帯に分散的に「ムラ」が誕生し、やがて南側の一画には環壕をもった集落が出現した。弥生時代中期(紀元前2~紀元1世紀)には丘陵を一周する大きな外環壕が掘られた。
弥生時代後期(紀元1~3世紀)になり、集落が大規模になるとともに戦争は激しくなり、集落の防衛も厳重になった。
大規模な∨字形の外環壕によって囲まれ、物見櫓や高床式の大きな建物が建てられ、さらに特別な空間である2つの内郭(北内郭・南内郭)をもつ国内最大級の環壕集落へと発展した。
内郭は、王を中心とした上層階級の人たちが住むクニの重要な部分であり、そのため内郭全体がさらに内壕で囲まれていた。そしていつも大勢の兵士たちが警護していた。
『現地パンフ、展示より』

現況・登城記・感想等

以前から、日本城郭協会が定めた日本100名城に「吉野ヶ里」が選ばれていることに違和感を感じていたが、今回訪れて、「確かに、これはまさしく城であり、100名城に選ばれたのも尤もだ」と実感しました。
周囲を深い空堀、場所によっては二重、三重の空堀で取り囲み、入口には櫓門が構えられ、物見のための櫓もいっぱいで、なかなか見応えのある城址でした。広すぎて、全てを廻ることができなかったほどです( ̄ー ̄;。
(2012/11/12訪れて)

【吉野ヶ里遺跡について】
平成元年(1989)、「幻の邪馬台国発見か?」と大ブームを巻き起こしたのをよく覚えている。
私は、その3年後の1992年に長崎へ転勤となった。そして、月1~2度の博多出張時に車窓から物見櫓などの建物を眺めたものでした。勿論、当時、吉野ヶ里を城であるという意識はなかったが、折角、近くに居るのだから、そのうちに訪れようと思いながら、結局一度も訪れることはなかった。
そして、何と、その22年後に、やっと訪れたのです(苦笑)。

ギャラリー

吉野ヶ里歴史公園案内図
01吉野ヶ里案内図

環濠集落への入口
吉野ヶ里遺跡へは、東口の歴史公園センターと西口の西口サービスセンターから入場することができる。環濠集落を見学するには、東口の歴史公園センターから入場するのが便利です。
歴史公園センターから、田出川に架かる天の浮橋を渡り進んでいくと、環濠集落への入口がある。

02門と土塁

土塁、空堀と逆茂木(乱杭)
環濠集落の防御のために掘られた外濠の総延長は約2.5kmになり、濠の内外には、更に、木柵、土塁、逆茂木などで敵の進入に備えている。
03空堀と逆茂木

【南内郭】 ~現地パンフレットより~
南内郭は、吉野ヶ里の集落をはじめ、周りのムラムラを治めていた王やリーダー層の人々が住んでいた場所と考えられている。
11吉野ヶ里南郭

南内郭が見えてくる
環濠集落への門をくぐり進んで行くと、南内郭へ出、木柵や櫓門、物見櫓などが見えてくる。南内郭の南側の守りは、兵士が待機している。門には正門と脇門があり、正門は監視を厳重にするために櫓門になっている。
12南郭

①櫓門
櫓の上には、四方に楯が置かれ、兵士が出入りする人達を見張っていた。尚、当櫓門は、安全のために、弥生時代のものとは位置や形状が異なるそうです。
13櫓門

②南内郭の物見櫓と竪穴住居
南内郭の中央は広場になっており、ムラの人々が共同で作業をしていたと考えられている。
15南郭

③物見櫓
物見櫓は南内郭の4ヶ所に建っている。直径30cm、高さ10m以上の柱で建てられている。
16物見櫓

④王の家
南内郭の北西部には、土塁、濠、柵で囲まれた特別な空間があり、その中にあった竪穴住居は、王の家をはじめ、その娘夫婦や妻の家であったと考えられている。
17王の家

【北内郭】
北内郭は、吉野ヶ里の祭りごとを司る最重要区域で、田植えや稲刈り、戦いや狩りの祈りなど、重要な事柄は全てここで決定されたと考えられている。こうしたことから、指導者達だけが出入りできた神聖、且つ特別な場所であったようである。
21吉野ヶ里北郭

北内郭へ
南内郭を出て、北へ向かうと、もう一つの特別な空間「北内郭」がある。北内郭も、周囲を空堀、土塁、柵がめぐっている。
22北郭へ

⑤北内郭への入口
北内郭への入口は、鍵型に折れ曲がった構造をしている上、柵で内部が見えないようになっている。これまた、まさに後世の城の虎口と同様である。
23北郭虎口

⑥主祭殿
16本もの柱を使った吉野ヶ里最大規模の高床建物で、まつりごとを司る最重要施設である。
24主祭殿

竪穴住居、高床住居、物見櫓
北内郭にも竪穴住居があるが、ここは従者の住まいであったようだ。その後ろの、ベランダ付きの正方形に近い特殊な形をした高床住居は、最高司祭者の住まいであったと考えられている。
北内郭の周囲をめぐる濠の外へ丸く張り出した突出部が4ヶ所あり、それぞれに物見櫓が建てられている。

26高床住居他

斉堂
高床の掘立柱建物で、まつりの時に身を清めたり、まつりの儀式に使う道具が置かれていた施設と考えられている。
25斉堂

東祭殿
夏至の日の出と、冬至の日の入りを結ぶ線上にある高床の建物で、太陽の動きを知るための建物で、ここでは季節ごとのまつりが行なわれていたと考えられている。
27東祭殿

【空堀】
環濠集落の周囲は大規模な∨字形の外環壕がめぐっているが、この写真は西側の空堀で、深さ3m近くある。土塁上からは4mほどあるだろう。
空堀

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