肥前 基肄城(基山町)

いものがんぎ

唐・新羅連合軍の侵攻に備えて築いた朝鮮式山城

読み方

きいのき、きいじょう

別名

椽城

所在地

佐賀県三養基郡基山町小倉
【アクセス】
基山町役場の南側から県道300号を2.2km程北西へ進み、右手に瀧光徳寺を通り過ぎ、更に道なりに2.5km程進むと草スキー場の駐車場がある。ここに駐車して、基山へ登る。
瀧光徳寺:基山町宮浦2200、0942-92-2068

所要時間

草スキー場駐車場から山上まで大急ぎで5分

形状

朝鮮式山城

現状・遺構等

【現状】 山林(国指定史跡)
【遺構等】 礎石建物跡、城門、水門、石垣、土塁、石碑、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2012/11/12

歴史・現状等

7世紀後半、朝鮮半島では中国の唐と新羅の連合軍が百済を滅ぼした。その百済復興のため、日本は援軍を送ったが、663年の白村江の戦で大敗した。
このため、唐と新羅の連合軍が国内に攻めてくるかもしれないという緊迫した情勢が生まれ、天智天皇は、大宰府防衛施設の建造を急いだ。翌664年に防人と烽を対馬・壱岐・筑紫に置き、筑紫に水城を築いて新羅と唐に対する防備を固めるとともに、665年には筑紫の大野城と南北相対する肥前に基肄城を築いた。
百済高官の指導により築かれた基肄城は、大野城とともに我が国最古の山城といわれ、西峰の基山(405m)と峰続きの東峰(327m)間を、北は築堤によって結び、南は石垣で連結し、その延長線は4.2kmに及ぶ壮大なものである。
城跡には、展望所、土塁、石垣、水門、礎石門址等が残っている。
展望所は、西峰の中央部にあり、この付近を南北にめぐっている土塁線の外側は急崖となり、内側は車路と称する平坦地が続いている。水門は城の南側にあり、基山・坊住山両峰の谷の水を排水する施設で、高さ1.4m、幅1m、奥行き9.5mで、その上に築かれている石垣は高さ8.5m、長さ26mである。また、20数ヶ所に礎石群がある。
この基肄城跡は、日本書紀、続日本紀、万葉集などに「椽城」、「記夷城」などと記された我が国における史上最古の国家築城である。
『「現地説明板・碑」、「基山町ホームページ」などより』

現況・登城記・感想等

2007年2月に大野城水城に登城した時に、いつかは基肄城へも是非登城したいと思っていたが、夕方に博多で待合せをしていたので、僅か1時間ほどしかなかった。
そこで、山上の遺構群だけ見て、水門等は次回にと思って、草スキー場のところから大急ぎで登って行った。
登り切った所には、「いものがんぎ」と呼ばれる、畝状空堀が・・・。これは、中世に築かれたものらしいが、何ともかっこいい。
まずは、展望所へ向かい全体像と眺望を眺めていたら、この山に、何度も登っているらしい人が居たので、今回は諦めるつもりでいた「水門」への道を尋ねると、「右前方を指さして、そこを下りていったところ」だという。
この言葉に「こりゃあ、案外、近いのかも(*^_^*)」と思い、まずは水門を見てから、山上の遺構を見ようと思い、教えてもらった道を下りて行った。ところが、下りても、下りても、水門らしきものは現れない。結局、草スキー場とは反対側へ完全に下りてしまった。
そして、やっと水門跡に辿り着いたが、修復作業中だった(;>_<;)。帰って来てから調べると、「石垣の一部が崩れ、崩落の危険性も懸念されるため石垣水門跡の補修工事が今月末から始まる。工事では崩落個所をいったん解体。石の配置などのデータ集めや保存に2年、さらに復元作業に2年ほどをかける予定(2010年11月25日佐賀新聞ニュース)。」ということでした(;>_<;)。
結局、「いものがんぎ」と「水門跡」を見るだけになってしまった。尤も、これらを見ただけでも、魅力たっぷりの城址だということは理解できた。再登城が必須の城です。それも、2年後より後にですね。
さて、約束の時間には間に合いそうにない・・・( ̄ー ̄;。
(2012/11/12登城して)

ギャラリー

基肄城跡めぐり案内図
史跡めぐりコースは、約1時間30分ほどだそうです。
基肄城跡めぐり案内図

基山
基山の西斜面は草スキー場になっており、なだらかな斜面が伸びている。
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山頂部へ
草スキー場の南端を大急ぎで登ること5分ほどで山頂部の城の虎口のような所に到着。
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いものがんぎ
虎口と思っていたのは、「いものがんぎ」の空堀部分の一つでした。「いものがんぎ」は、幅の狭い馬の背のような稜線に平行した4条の窪みが掘られていて、その間に3基の蒲鉾状の小さな隆起がならんでいる。その形状が芋畑の畝ににていることから「いものがんぎ」と呼ばれているそうですが、これは中世に造られたもののようです。奥の土壇は何者でしょうか??
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山頂部から東方面の眺望
山頂部から見下ろす東方面の眺望は良い。水城や大野城を捜したがありませんでした。当然ですよね、水城や大野城は、基山の北方向ですから(苦笑)。
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城址碑と説明碑
基山の山頂部には昭和40年に建てられた「特別史跡 基肄城跡」と刻まれた石碑とその歴史や現況等について刻まれた石碑が立っている。写真後方が展望台であるが、この展望台、周囲より決して高くなくあまり必要性を感じなかった(笑)。
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山頂部の土塁線
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北峰(414m)を
この北峰に「北帝門跡」があるのですが、行き損ねました( ̄ー ̄;。しかも、そこからは水城や大野城が見えるかもしれないのに(/。ヽ)。
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水門跡へ向かう
「そこを下りていったところ」という言葉を頼りに水門を捜しに東斜面の堀底道をひたすら下りて行きました。
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南門・水門跡
下りて行くこと20分ほどで、やっと南門・水門跡に到着しましたが、ブルーシートがいきなり目に付きました(;´▽`A``。
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水門の石垣
な・な~んと! 石垣は、ほぼ全面修復作業中でしたw(*゚o゚*)w。
「石垣の一部が崩れ、崩落の危険性も懸念されるため石垣水門跡の補修工事が今月末から始まる。工事では崩落個所をいったん解体。石の配置などのデータ集めや保存に2年、さらに復元作業に2年ほどをかける予定(2010年11月25日佐賀新聞ニュース)。」ということです(;>_<;)。

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