鍋島陣屋の石塀と修築中の陣屋門
佐賀藩祖直茂の兄信房を初代とする飛び地領に構えられた陣屋
所在地
長崎県雲仙市国見町神代(鍋島邸)
【アクセス】
島原鉄道「神代町駅」の南西へ約300m。国道251号「神代」信号を南へと県道131号に入り、500m程南下して左折し、400m程東進した突き当りを左折すると左手に鍋島陣屋がある。
形状
陣屋
現状・遺構等
【現状】 鍋島邸(国指定重要文化財)
【遺構等】 鍋島邸、陣屋門、石垣、庭園、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2012/11/10
歴史等
天正15年(1587)、神代氏の領地は豊臣秀吉の九州国割により竜造寺領に編入され、佐賀藩は竜造寺政家と鍋島直茂の二頭両立体制をとることとなった。
その後、慶長12年(1607)の竜造寺政家・高房父子の死去により、鍋島直茂の子勝茂を当主とする鍋島佐賀藩が成立する。
慶長13年(1608)には、神代郷は鍋島信房(直茂の実兄)の所領となり、明治2年の版籍奉還まで続く佐賀藩の飛び地である神代鍋島領が誕生した。
当主の居城は4代目の嵩就の代になって行われるようになり、17世紀後半に計画的な武家町が形成された。
『鍋島邸パンフレットより』
現況・登城記・感想等
国指定重要文化財となり、邸宅や陣屋の長屋門が残っているが、残念ながら陣屋門は修築中で見れなかったが、門へ延びる切込みハギの美しい石垣が印象的だ。
入場料200円で邸宅の外観と庭園は見学できるが(月曜、年末年始休館)、邸宅内へは入れない。
庭園は、流石に見事なものである。往時は「池泉式庭園」であったが、大正7年に鑑賞を目的とした回遊式枯山水庭園として作庭されたのだそうだ。その築山の上からは国見の町が見渡せる。
周辺の武家屋敷が建ち並ぶ神代小路の光景も趣きがある。
(2012/11/10訪れて)
ギャラリー
陣屋長屋門へ続く石塀
切込みハギの美しい石垣が印象的だ。残念ながら、正面奥に見えるはずの陣屋長屋門は改修中で・・・(/。ヽ)。尚、陣屋門は長屋門で、文久2年(1862)の建築と伝わる。
石塀の北側の生垣
石塀の北側の生垣も情緒満点です。
鍋島邸玄関
鍋島邸
鍋島邸を南西から撮ったものであるが、残念ながら、ここも北西部分が改修中で・・・(/。ヽ)。鍋島邸主屋は、御北(おきた)と呼ばれる万延元年(1860)の建物に、明治昭和期の近代和風の書院座敷が。
庭園
庭園は、往時は「池泉式庭園」であったが、大正7年に鑑賞を目的とした回遊式枯山水庭園として作庭された。
築山の上から鍋島邸を
【神代小路・武家屋敷群】
周辺の武家屋敷が建ち並ぶ神代小路の光景は趣きがある。
筆頭家老邸の長屋門
筆頭家老のH氏宅の長屋門で、邸宅には、今も、末裔の方が住んでおられるそうです。