本丸周囲を囲む土塁と空堀前に立つ城址碑と説明板
倭寇であった源壱(松浦党)の居城
読み方
なまいけじょう
別名
牛ヶ城
所在地
長崎県壱岐市勝本町百合畑触
【アクセス】
壱岐各地に案内板があり、壱岐中央部に風土記の丘というのがあり、そこに古墳群があります。生池城跡は、その中の百合畑古墳園の東にあります。古墳駐車場に地図付きの案内板があります。
(古墳群エリア散策MAP)
所要時間
百合畑古墳園の駐車場から主郭まで10分弱、今回の総所要時間は20分ほどでした。
形状
平山城(標高114.5m)
現状・遺構等
【現状】 山林(市指定史跡)
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、土橋、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2015/07/14
歴史等
16世紀中頃松浦党の源壱(みなもとのいち)が居城していました。
源壱は朝鮮・中国沿岸で私貿易を行なった倭寇のひとりで、のちに朝鮮から図書(貿易許可書)を受『け、正式の貿易を行ないました。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
生池城跡は、よく整備されて明るい「百合畑古墳園」の東にある森の中にあります。
ただ、森の中の道は薄暗くて薄気味悪く、おまけに、台風のあとなのでぬかるんでいて・・・(/。ヽ)。濡れ落ち葉の中に赤と黒と黄色の縞縞模様の蛇に出遭ってしまいました( ̄ー ̄;。
何とか城跡まで辿り着くと、良好に残る空堀と土塁がありました。多分、主郭周囲を取り巻く空堀と土塁でしょう。
空堀に架かる土橋を渡って曲輪虎口へ登ったのですが、先程の蛇がトラウマとなって頭の中にこびり付いて、曲輪の中の方へ入って行く勇気がありませんでした(/。ヽ)。
説明板によると、「主郭部を二重の空堀がとりまく」とありましたが、それが内堀なのか外堀なのかも分からず戻ってきてしまいました(/。ヽ)。
やっぱり山城は、冬に限りますね(汗、苦笑)。
(2015/07/14登城して)
ギャラリー
百合畑古墳園
生池城跡は、百合畑古墳群の東にある森の中にあります。写真奥に見える森が城跡で、古墳群の中を通り抜けて行きます。
生池城跡と天然の濠?
古墳群を通り抜けると、如何にも天然の濠といった感じの田園があります。写真右の小山が生池城跡です。
生池
森の中へ入る手前に生池というのがありますが、水神社(旧式内社、勝本町布気触)の境外末社のひとつだそうで、生池城の用水の汲み場であったと思われるとのことです。
尚、「壱岐名勝図誌」には「昔、川童子(カッパ)が、ここで人を生け捕りにしたので、生池と呼ぶようになった」と書かれているそうです。
登城道
森の中の道は薄暗くて薄気味悪く、おまけに、台風のあとなのでぬかるんでいて・・・(/。ヽ)。濡れ落ち葉の中に赤と黒と黄色の縞縞模様の蛇に出遭ってしまいました( ̄ー ̄;。
主郭周囲の土塁と空堀前に立つ城址碑と説明板
登城道を5分程歩いて主郭前に到着。主郭周囲には土塁と空堀が良好に残り、その前に城址碑と説明板が設置されています。
空堀と土塁
空堀は、幅3m強、深さは堀底から主郭土塁上まで3m近くあります。
虎口主郭と土塁
主郭虎口へは土塁を渡り、登って行きます。虎口は平虎口です。
主郭内
主郭内は雑木林になっていますが、それほどの藪ではありませんでした。しかし、先程見た縞模様の蛇がトラウマとなって頭にこびり付いていて、中の方へ入って行く勇気がありませんでした。
主郭周囲の土塁
主郭周囲の土塁は、主郭内からは高さ50cmほどです。