壱岐 高津城(壱岐市勝本町)

松浦党一族の佐志氏の居城

読み方

こうづじょう

所在地

長崎県壱岐市勝本町西戸触
【アクセス】
勝本中学校の南側を県道23号線で200mほど南下した三叉路を左(東)へ曲がり100mほど登った辺りが城跡周辺のようです。
勝本中学校:勝本町仲触1846、電話0920-42-0016

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】 畑地ほか
【遺構等】 土塁?、堀?

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2015/07/14

歴史等

壱岐は戦国時代の初期まで松浦党の佐志、志佐、鴨打、呼子、塩津留の5氏が分割して支配していた。そして、高津城は佐志氏の居城であった。
佐志氏は歳遣船約定者となって朝鮮との通行貿易を行なっていた。そして、もっぱら上松浦(唐津市佐志町)の本拠にいて、高津城は代官の田口氏が仕切っていたものとみられる。
しかし、文明4年(1472)に一族である波多氏の攻略で5氏は壱岐から放逐された。
『歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)より』

現況・登城記・感想等

高津城跡の場所は、「日本城郭大系17」や「歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)」にも詳しいことが載っていないので、こくらマックさんのホームページ「こくらマックのホームページ城郭探訪」の地図を参考にさせて戴きました。
地形からみて、恐らくこの辺りだろうと思われるところに、土塁跡のようなのを見付けたので写真に撮りましたが、果たして・・・・( ̄ー ̄;。
日本城郭大系などには、「本丸周囲には幅5mの空堀が周囲を取り巻き・・・」とありますが、分かりませんでした。
(2015/07/14訪れて)

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