黒崎砲台地下室入口
戦艦土佐の主砲を設置した砲台
所在地
長崎県壱岐市郷ノ浦町新田触826-1
【アクセス】
壱岐の各地にMAPがあり、そこに載っており、勝本町新田触に向かって行くと、各所に「猿島」の案内があります。砲台は、猿島のすぐ近くです。
形状
要塞
現状・遺構等
【現状】 戦争遺跡
【遺構等】 砲台跡、砲弾レプリカ、砲台構造図絵
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2015/07/14
歴史等
明治維新以降、日本は富国強兵を推し進め海軍増強に努めましたが、同様に他の主要国も軍備増強を図りました。
さらに、第一次世界大戦が終結した後も、戦勝主要国は海軍力(特に戦艦)の増強を進め軍拡競争が激しくなったため、大正11年~12年(1921~22)のワシントン海軍軍縮会議が開催されました。そして、艦艇の保有比率を英:米:日:仏:伊がそれぞれ、5:5:3:1.75:1.75とすることで調整、それに合わせ戦艦土佐などの主力艦を廃棄することとなりました。
しかし、軍艦を廃棄するものの、軍艦の主砲は保存したいと思った軍部は、軍艦の主砲を利用して、秘密要塞をつくることにしました。
壱岐では、ここ、黒崎半島に砲台を造ることになり、昭和3年8月から6年かけて完成しました。設置された砲台は、戦艦「土佐」に搭載されていた主砲です。
口径41cmのカノン砲二門の砲台で、砲身の長さ18.83m、弾丸の重さ1t、最大射程距離約35km、同じ規模の砲台が韓国釜山と対馬にあったが、ここは一発も実弾を発射することはありませんでした。
『「壱岐市ホームページ」、「ウィキペディア・ワシントン海軍軍縮条約」他参照』
現況・登城記・感想等
黒崎砲台は、巨大な地下要塞で、入口前に黒崎砲台の砲弾と戦艦大和の主砲の砲弾のレプリカが設置されています。
地下要塞の中は暗い上、台風のあとだったこともあり水が一杯溜まっていて・・・(/。ヽ)。
尚、猿岩展望所の売店裏の山道を少し登ると、砲台の巨大な穴を地上からも見ることができるそうですが見落としました(/。ヽ)。
(2015/07/14訪れて)
ギャラリー
黒崎砲台構造図絵(現地案内板より)
砲台地下室入口
砲台の地下室への入口前には、砲台の構造図絵があり、その前には黒崎砲台の砲弾(左)と戦艦大和の主砲の砲弾(右)のレプリカが設置されています。
地下室
地下室は、薄暗いというよりも相当な暗さで、ひんやりとして薄気味悪い。おまけに、台風のあとのため、ぬかるんでいるだけでなく水溜りだらけで靴が泥だらけに・・・(/。ヽ)。
弾薬室
ここは上写真の奥の光が当たっているところで、40センチ砲が設置されていた真下になります。案内板の砲台の構造図絵によると弾薬室ということになります。円柱形になっており、真上を見上げたいのですが、柵で入って行くことが出来ませんでした。
尚、すぐ近くの猿岩展望所の売店裏の山道を少し登ると、砲台の巨大な穴を地上からも見ることができるそうですが見落としてしまいました(/。ヽ)。
猿岩
確かに猿そのものですね。戦時中は、砲台は勿論、猿岩周辺も立ち入りが禁止されていたそうです。