肥後 水俣城(水俣市)

本丸の一段下に残る石組みの井戸跡

薩摩との境目にある相良氏の支城

所在地

熊本県水俣市古城1丁目、城山公園
【アクセス】
国道3号「水俣市役所前」信号を南東の道へ入り、800m程進んだ信号を左折して、200m程進むと、左手に「加藤神社」があり、右手に「城山公園」がある。この公園が城跡。公園に無料駐車場が完備。

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】 城山公園
【遺構等】 石垣、曲輪、井戸、石碑、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2012/11/15

歴史等

水俣城は、通説では、治承5年(1181)頃、水俣四郎が砦を築いたのが始まりといわれるが定かではない。
南北朝時代には名和長利の孫、顕興の家来、本郷家久が南朝方として居城したという。それ以後は、球磨の相良氏の支配とななった。
天正7年(1579)8月、島津家は伊勢守忠春を大将として1800余騎をもって、水俣城を攻めた。
天正9年(1581)島津氏は大軍を率いて、水俣芦北地区に侵入した。難攻不落の水俣城も、ついに落城し、それ以降水俣は島津領となり、地頭が派遣された。
天正15年(1587)秀吉の九州征伐によって水俣は豊臣家の直轄領とし、深水三河守に預け、以後は、寺沢志摩守領と変り、慶長6年(1601)から加藤清正領となった後、中村将監正師が城代として派遣された。
慶長17年(1612)の幕命により、水俣城は、宇土城、矢部城とともに取り壊された。
『現地説明板より要約』

現況・登城記・感想等

水俣城跡は、城山公園になっているとはいうものの、あまり整備はされておらず、公園というよりも、小山の中に祀られた神社(稲荷神社)といった感じである。
往時は石垣で固められていたのであろう。斜面のあちこちに石垣の一部やその崩れた石が確認できる。
また、本丸の一段下には石組みの井戸が残っている。この井戸が一番の見所でしょう。
(2012/11/15訪れて)

ギャラリー

石垣跡
往時は石垣で固められていたのであろう。斜面のあちこちに石垣の一部やその崩れた石が確認できる。
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山麓に建つ石碑と説明板
水俣城跡は、城山公園になっているとはいうものの、あまり整備はされておらず、公園というよりも、小山の中に祀られた神社(稲荷神社)といった感じで、この石碑や説明板が立っていなかったら、水俣城跡とは気が付かないのではないだろうか。
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