肥後 麹智城(山鹿市)

復元された八角形鼓楼と米倉

白村江の戦いに大敗し、唐・新羅の来攻に備えて築かれた朝鮮式山城の一つ

読み方

くくちじょう、きくちじょう

所在地

熊本県山鹿市菊鹿町米原443-1、歴史公園麹智城・温故創生館
歴史公園麹智城・温故創生館:電話0968-48-3178

所要時間

今回の見学時間は1時間でした。

形状

朝鮮式山城

現状・遺構等

【現状】 歴史公園麹智城
【遺構等】 礎石、土塁、門跡、空堀、復元(八角形鼓楼、米倉、兵舎、板倉、橋)、説明板、遺構案内板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2013/11/26

歴史等

7世紀、朝鮮半島では「高句麗」、「百済」、「新羅」の三国の争いに、中国の「唐」が加わり、社会的な緊張が続いていたが、660年の唐と新羅の連合軍によって、日本と友好関係にあった百済が滅ぼされた。
その頃、日本は「大化の改新」の最中で、国内の政治体制を整備し始めたばかりであった。しかし、中大兄皇子は、百済遺臣の求めに応じて、663年に百済復興のために軍勢を派遣したが、「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍に大敗し百済の救援に失敗した。
その結果、今度は、唐と新羅による日本侵攻の脅威に直接対処せざるを得ない情勢になった。
そこで、大和朝廷は西日本を中心に防衛体制を形成した。九州では最前線基地として金田城(対馬)が築城され、大宰府を防衛するために大野城基肄城が築かれた。
そして、それらの背後に位置する麹智城は防衛施設であったと同時に、食糧や武器などを前線へ供給するための兵站基地であったと考えられる。
しかし、結果として唐と新羅による日本への侵攻はなく、麹智城はその後、役所的な役割を持つ施設や食料を貯蔵する施設などに変化し、10世紀半ばまで存続した。
『温故創生館内展示資料ほか参照』

現況・登城記・感想等

熊本県には「きくちじょう」が2つあります。一つがこの古代朝鮮式山城の「麹智城」で「くくちじょう」ともいうらしいです。もう一つは肥後の名門・菊池氏の本拠である「菊池城」です。
古代山城といえば大野城基肄城鬼ノ城などを想い起し、兎に角広いというのが私の印象ですが、この麹智城も負けず劣らず広く、城の中心区域だけで周囲約3.5km、面積約55haあり、全城域は120haにもなるそうですw(*゚o゚*)w。
また、古代山城の特徴の一つに、立派な城門が築かれていますが、当城にも3つの立派な城門跡(深迫門・堀切門・池の尾門)が発掘されています。
ただ、最前線基地ではないためか、他の古代山城が険しい山の上にあるのと異なり、平野から連なる台地上にあります。
城の中心区域には、八角形鼓楼、米倉、兵舎、板倉が復元されています。
また、温故創生館が建てられ、展示や映像で麹智城について解説されています。
今回は、時間の余裕があまりなかった上、あまりにも広すぎて、温故創生館をさっと見たあとに、城の中心部と深迫門跡、堀切門跡だけ見て帰らざるを得なかったのが残念です。全てをじっくり見学するには2時間以上は必要でしょう。
(2013/11/26登城して)

ギャラリー

麹池城跡案内図(温故創生館内パンフレットより)
鞠智城の55haにも及ぶ広大な敷地内には、城の中心となる建物跡のほか、城門跡や、土塁跡などの見どころが各所にあります。
麹智城

城の中心部に復元された八角形鼓楼と米倉
鞠智城跡では、4基の八角形建物跡が見つかっています。特別な性格の施設であったことをうかがわせる、八角形という特殊な形であったことから、鼓の音で時を知らせたり、見張りをしたりするための「八角形鼓楼」として復元しました。復元した「八角形鼓楼」は、高さ15.8mで、重量約76トンの瓦が載る建物です。 
また、石を規則正しく並べて土台にした、21棟の礎石建物跡が見つかっています。その中の1棟の建物跡を、重い荷物に耐える造りであり、かつ周りから大量の炭化した米が見つかったことから、食料である米を蓄えるための「米倉」として復元しました。復元した「米倉」は、長さ7.2m、幅9.6mの3間×4間の建物です。(歴史公園麹智城・温故創生館サイトより)
 
麹智城中心部

天然の空濠と土橋
城の中心区域から深迫門へ向かうと、両側(写真手前)に土塁が設けられ、その向こうに土橋のような道があります。両側は深い崖になっています。天然の崖に手を加えたものでしょうか。土橋の向こう側の両側にも土塁が築かれています。
土橋

深迫門跡
深迫門は、城域の南東隅に位置する。これまでの発掘調査によって、地元で「長者どんの的石」と古くから呼ばれてきた門礎石1基の他、版築土塁やそれに伴う柱穴、石列などが確認されるとともに、須恵器などが出土しています。
版築土塁は谷部を挟んだ南北両側で検出され、それぞれ高さが4m以上あり、裾部には土留めのための石列を置く構造になっています。
また、同じく、土塁裾部からは1.8m間隔で並ぶ柱穴が、南土塁で7基、北土塁で8基見つかっていますが、これらの柱穴は版築で土塁を築く際に用いた支柱の痕跡と考えられています。(現地解説より)

深迫門

深迫門礎石
長径2.68m、短径2.26m、厚さ80cmあります。
深迫門礎石

堀切門跡
堀切門

堀切門礎石
長軸2.66m、幅は最も広いところで1.84m、厚さ20~50cmです。 
堀切門礎石

堀切に架かる木橋(復元)
堀切門跡の南側には堀切があり、木橋が復元されています。
堀切と橋

堀切門跡から城の中心部を望む
堀切門の方から中心部を

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