千畳敷への虎口
平安時代に菊池氏一族、室町時代に宇土氏・名和氏が居城した城
別名
宇土城、中世宇土城
所在地
熊本県宇土市神馬町西岡台
形状
平山城(標高約39m)
現状・遺構等
現状:歴史公園
遺構等:曲輪、建築跡、堀、石塁、土塁、復元建物、石碑、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2007/01/04
歴史等
宇土城跡は、通称「西岡台」と呼ばれる標高39mの小高い丘陵上にあり、東西700m、南北300mの規模をもつ平山城である。西尾岡台の東約500mには、戦国大名小西行長が16世紀末に築城した宇土城跡があるため西岡台の宇土城跡を「中世宇土城跡」や「宇土城跡(西岡台)」と呼んで区別している。
言い伝えでは、永承3年(1048)に宇土城が造られて以後、菊池氏の一族が代々城主であったとされている。室町時代には宇土氏と名和氏が宇土城主となった。
宇土氏は、守護大名だった菊池氏の一族と伝えられている。古くから宇土に勢力をおいていたが、文亀3年(1503)に菊池氏との争いに敗れて滅んだ。
一方、名和氏は、室町時代の初め頃から八代にいたが、文亀4年(1504)、相良氏が名和氏を攻めたため、八代から宇土へ移った。それから80年余り名和氏は宇土城主として活動した。城を使わなくなったのは、小西行長が近世宇土城の築城を開始した16世紀末頃と考えられる。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
宇土古城は、近世宇土城のすぐ近く(西側500mほど行った小高い丘)にあり、国の史跡に指定され、歴史公園として整備が進められていた。
宇土城跡歴史公園駐車場から丘の上を見上げると腰曲輪が段々になって幾つもあり、その上に復元門が見える。階段を上がると、千畳敷と呼ばれる城の中心地への虎口に門が復元されているが、その土塁や手前にある堀跡が全て固められていて違和感がある。保存上止むを得ないのだろうとは思うが、何とも安易な感がしないでもない。
虎口を入って千畳敷へ出ると、往時の建物群の柱を示す丸太が一杯立っており、一戸だけ復元された建物が建っていた。千畳敷からは360度のパノラマが楽しめる。
千畳敷の周りは幅は狭いながらも堀で囲まれ、一部は二重の堀になっていたようである。その堀の外側を廻り、虎口の裏側へ行き、三城側を眺めると、段々になった腰曲輪跡が非常に分かる。私は、この光景が何とも云えず好きだ。三城方面はまだ整備中であったが、案内板にあった縄張りの感じがよく分かる。
城跡そのものは決して悪くはないのだが、堀跡や土塁等がコンクリート?(セメント?)で固められているのが、どうにも気になった。
(2007/01/04登城して)
ギャラリー
宇土古城全景
段曲輪
駐車場から丘の上を見上げると腰曲輪が段々になって幾つもあり、その上に復元門が見える。
千畳敷への虎口
千畳敷と呼ばれる城の中心地への虎口に門が復元されているが、その土塁や手前にある堀跡が全て固められていて、どうにも違和感がある。保存上、止むを得ないのだろうとは思うが、何とも安易な感がしないでもない。
千畳敷虎口(城内側から)
堀跡
千畳敷の周りは幅は狭いながらも堀で囲まれている。
二重堀
一部は二重堀になっている。
千畳敷
千畳敷へ出ると、往時の建物群の柱を示す丸太が一杯立っており、一戸だけ復元された建物が建っていた。
千畳敷からの眺望
千畳敷からは360度のパノラマが楽しめる。
三城と千畳敷の間の腰曲輪 ~クリックにて拡大画面に~
段々になった腰曲輪跡がよく分かる。私は、この光景が何とも言えず好きだ。