時枝陣屋跡に建つ邸宅に残る石垣と石碑
不行跡で4万石に減封された中津藩のうち5千石を領した弟長宥が築いた陣屋
所在地
大分県宇佐市下時枝
【アクセス】
糸口小学校の西側を通る道を北上し、すぐの信号(県道629号線と交わる交差点)をさらに100mほど北上すると二股に分かれるところがあり、その左手の邸宅周辺から芝原善光寺一帯が陣屋跡です。邸宅の前に城址碑や石垣が残っています。二股道の間の駐車場(少し南にある芽豆羅保育園の駐車場らしい)を拝借しました。
形状
陣屋
現状・遺構等
【現状】 宅地等
【遺構等】 土塁、石垣、石碑、標柱
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2013/11/28
歴史等
元禄11年(1698)、中津城主であった小笠原長胤がその不行跡によって江戸奥詰衆を命じられ、長胤の弟長円が4万石に減封されて中津城主となり、弟の長宥が5千石の旗本となり、翌12年、時枝陣屋を築いた。
領主長宥は江戸詰めであるので、平素は目代、御当役と呼ばれる役人が居住して年貢を取り立てていた。
『日本城郭大系16より』
現況・登城記・感想等
小さな石碑と標柱が立ち、植え込みのおかげで少し分かりにくいですが、石垣も少し残っています。
さらに、芝原善光寺の方へ北上すると旧道右側に土塁の一部が残っているらしいが見落としてしまいました(/。ヽ)。
(2013/11/28訪れて)
ギャラリー
小さな石碑とその奥に石垣
植え込みに隠れた石垣