豊後 真玉城(豊後高田市)

真玉寺周囲をめぐる水堀

木付氏4代頼直の弟重実が真玉荘を分知され築いた城

読み方

またまじょう

所在地

大分県豊後高田市西真玉
【アクセス】
JR宇佐駅そば、国道10号線と国道213号線の分岐交差点「岩崎信号」から国道213号線を東進し、10Km先の県道654号線と交わる信号の手前40mの路地を右へ廻りこみ50mほど進むと右側が神社裏手となります。そこを左折し、400mほど南東へ進むと、右手に真玉寺があります(見落としやすいです)。真玉寺とその北西の高田高校真玉分校跡地一帯が城跡です。車は、高田高校真玉分校跡地に停めました。

形状

平城

現状・遺構等

【現状】 真玉寺、空き地(高田高校真玉分校跡地)、畑
【遺構等】 曲輪、土塁、堀、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2013/11/28

歴史等

文和元年(1352)に木付氏4代頼直の弟の重実は真玉荘を分知され真玉氏を名乗った。以後、238年真玉氏代々の居城となった。
天正18年(1590年)9代真玉統寛は豊臣秀吉の小田原城攻めに参陣する途中、家臣山田兼佐の謀反によって落命。この内乱によって真玉氏は滅亡した。
『「現地説明板」、「日本城郭大系16」参照』

現況・登城記・感想等

真玉寺と高田高校真玉分校跡地一帯が真玉城跡ですが、県史跡にも関わらず、いずれも荒れ果てています。
高田高校分校跡地は兎も角、真玉寺は、真玉氏初代重実により南北朝時代のに創建(現在の地に移されたのは江戸時代)されたという歴史ある寺です。しかも、石殿や山門・弥勒堂・仁王をはじめ多くの文化財があるにも関わらずです。何とも、寂しいかぎりです。
それはさておき、城跡ですが、真玉寺周囲の水堀がひっそりと残っています。
寺の北西の内城跡である高田高校分校跡の北西と南西には、長く延びる土塁とその外側の堀が残っています。また、その他にも多くの遺構が残っていそうです。
ただ、全く整備されていないので、印象はもう一つですが、多少なりとも整備されたら、かなり見応えのある城跡になることでしょう。
尤も、整備されても、訪れるのは、自分などをはじめとする奇特な人間だけだろうから、何の利益もないので無理でしょうね(苦笑)。ボランティアに期待するしかないですかね(私が近くに居れば参加しますがねえ)。
(2013/11/28登城して)

ギャラリー

真玉寺北隅の水堀
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真玉寺北東を通る道沿いから見る水堀
真玉寺を目標に来ますが、寺そのものは見落としやすいので、この水堀を見逃さないようにして下さい。
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真玉寺南側の水堀
正面奥が道路で、左に見えるのが真玉寺です。
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真玉寺南西の水堀
中央奥の土塁の向こうが内城です。
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内城(高田高校分校跡地)北西の土塁
この土塁は、なかなか良好に残っています。この左側に堀(一段下の写真)が設けられています。
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内城(高田高校分校跡地)北西の水堀
何せ、土塁上もほとんど未整備なので、この写真を撮るのがやっとでした(/。ヽ)。
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内城南西の空堀
写真左奥(内城南)にも土塁が見えます。
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真玉寺文化財
真玉寺には、石殿や山門(右)・弥勒堂(中央奥)・仁王(中央)をはじめ多くの文化財があるにも関わらず、何とも荒れ果てた感じで、何とも寂しい限りです。
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