豊後 佐伯城(佐伯市)

佐伯城本丸と二の丸間の橋(かつての廊下橋)

築城の名手毛利高政が築いた山城

別名

鶴屋城、鶴城、鶴ヶ城

所在地

大分県佐伯市西谷町~大手1丁目
【アクセス】
佐伯文化会館の裏山が城跡で、文化会館の北側に登城口があり、登城道は整備されています。車は、文化会館の駐車場を拝借しました。登城道は3コースあり、登城道を味わうなら「登城の道」、楽して登るなら「独歩碑の道」がお薦めです。
佐伯文化会館:佐伯市大手町1丁目1−1、電話0972-22-6111

所要時間

駐車場から本丸跡まで20分ほど、今回の見学時間は1時間30分でした。

形状

山城(標高140m、比高135m)

現状・遺構等

【現状】 山林(城山)
【遺構等】 現存櫓門、曲輪、石垣、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2013/11/29

歴史等

慶長6年(1601)4月、豊後日隈城より入封の初代毛利高政は、中世の山城栂牟礼城を廃し、翌7年(1602)新たに八幡山を相して佐伯2万石の本拠地と定め、山上に築城を開始し、慶長11年(1606)に完成した。
2万石の大名の居城としては、大規模で、かつ堅牢な城で、山頂に三層の天守を持つ本丸を中心に、二の丸・西の丸を西南にのばし、北の丸を東北にひろげ、あたかも舞鶴の翼を張った姿から鶴屋城と名付けられ、また鶴城と呼ばれた。
元和3年(1617)の火災で焼失したが、山城の不便さを避けてあえて再建はせず、寛永14年(1637)山麓に三の丸を開いて殿舎を建てて居館とし、以後二百数十年間、佐伯藩政はここで執り行われた。
明治初めの版籍奉還、廃藩置県によって廃城となった。
『「現地説明板」、「日本城郭大系16」参照』

現況・登城記・感想等

佐伯城跡の山上に残る、本丸を中心に良好に残る石垣群は、とても2万石程度の大名のものとは思えないほど見事なもので見応え満点です。
また、各曲輪から見下ろす景色は、いずれも素晴らしいです。中でも、本丸外曲輪から見下ろす光景は絶景で、映画「釣りバカ日誌」の「佐伯市街地と佐伯湾を望むシーン」のロケ地となったようです。
また、山麓に残る唯一の建物遺構である櫓門の前から見上げる光景もいいですねえ。
佐伯城跡は、散策コースとして人気があるようで、早朝(AM7:15)の登城にも関わらず、多くの人と出逢いましたが、登城道が綺麗に整備されている上、石垣遺構が素晴らしく、その上、城跡から見下ろす景色が最高とくれば、誰しも散策するのが楽しいでしょう。佐伯市民が羨ましくなるほどの散策コースです。
(2013/11/29登城して)

ギャラリー

佐伯城跡散策コース案内図(現地案内板より)
00佐伯城案内図

佐伯城(山上)鳥瞰図 ~現地案内板より~
00佐伯城鳥瞰図

東麓から佐伯城跡を見上げる
山麓から見上げる佐伯城跡は、木々の間から僅かに石垣が見え、なかなかの光景です。正面に見える門は佐伯城唯一の現存建築物の櫓門で、その後ろが三の丸跡で文化会館が建っています。
尚、中央の道路は馬場跡、右側の趣きのある門が建つ佐伯小学校はかつての侍屋敷、左側は駐車場ですが藩庁跡です。

01佐伯城全景

三の丸石垣
山麓の三の丸前の水堀は埋められてしまっていますが、長~く延びる石垣があります。
03三の丸石垣

櫓門(現存)
この櫓門は藩主の居館が山頂から三の丸に移った寛永14年(1637)に藩庁の正門として創建されたもので、佐伯城唯一の現存建築物(大分県指定文化財)です。
05櫓門

櫓門内枡形
櫓門の背後(三の丸内)は枡形になっています。
07櫓門枡形

本丸へ3コースの分岐点(三の丸)
三の丸跡に建つ文化会館の背後から本丸へ登りますが「独歩碑の道」、「登城の道」、「翠明の道」の3コースがあります。登城を味わうなら本来の登城道であろうと思われる「登城の道」を、楽して登るなら「独歩碑の道」がお薦めです。早朝だったので、私は「独歩碑の道」を選びました。
09三の丸

本丸外曲輪の冠水門跡
独歩碑の道を登って来ると、本丸外曲輪への入口である「冠水門跡」へ出ます。
11本丸外曲輪へ

冠水門礎石
門跡には礎石も残っています。また、写真右奥は本丸外曲輪二重櫓跡です。東からの朝の陽ざしが強烈で、こんな写真になってしまいました(/。ヽ)。
冠水門礎石

本丸外曲輪からの眺望
本丸外曲輪から見下ろす光景は絶景で、映画「釣りバカ日誌」の「佐伯市街地と佐伯湾を望むシーン」のロケ地となったようです。
13外曲輪からの眺望

本丸石垣
現地の案内板(鳥瞰図)には、外曲輪から本丸に登る石段は描かれておらず、本丸へは二の丸から廊下橋を通って入って行くようになっています。本丸天守台の上に神社が祀られているので、廃城後に設けられたものではないでしょうか。
15本丸

本丸と天守台
天守台石垣は、本丸の西部分に残っていますが、思っていたよりも低い壇でした。
17本丸天守台

北の丸
北の丸は、北の方へ突き出た細長い曲輪で、出丸的な曲輪です。左に見える石垣は本丸外曲輪櫓跡です。
19北の丸

水の手門跡
案内板に「若宮の道」とあったが、搦手道へ通じるのでしょうか。
23水の手門跡

北の丸二重櫓跡
北の丸の先端にも二重櫓が建っていました。ここから眺める東方の眺望も素晴らしかったが、強烈な逆光で写真に収めることはできませんでした。
21北の丸二重櫓跡

北の丸から本丸石垣を
東側(外曲輪)から見る本丸は小規模に見えましたが、北の丸から見るとかなり大規模な石垣で、東西に長いのが分かります。
25北の丸から本丸石垣を

本丸と二の丸間の橋
本丸に沿って二の丸方面へ進むと、本丸と二の丸間を繋ぐ橋の下へ出ます。鳥瞰図によると、当時は屋根の付いた「廊下橋」だったようです。堀切ではありませんが、石垣は堀切的な役目をしています。
廊下橋跡

二の丸への虎口と廊下橋
廊下橋の下をくぐって東側へ出ると、二の丸への虎口があります。石段の上と写真左側には、往時は門が建っていました。
31廊下橋

二の丸
33二の丸

二の丸から本丸と廊下橋を
二の丸跡から本丸石垣と廊下橋を見たものですが、なかなか絵になる光景です。山麓の三の丸から「登城の道」を登って来ると、右下の道へ出ます。
35二の丸から本丸石垣を

二の丸からの眺望
二の丸から見下ろす南東方面の光景も素晴らしいです。
35二の丸からの眺望

二の丸渡櫓跡
西の丸へ向かって行くと、二の丸と西の丸の間にあった二の丸渡櫓跡へ出ます。両側に2m弱の石垣が迫り、堀底道のようになっています。
37渡櫓跡

西の丸
西の丸の二の丸寄り(写真手前側)は、やや細くなっています。
39西の丸

西の丸大門跡
「翠明の道」から登って来ると、この虎口へ出ます。
41西の丸大門跡

西の丸から二の丸と本丸を望む
西の丸から二の丸と本丸の石垣群を眺めたものですが、これまた絵になります。
47西の丸から二の丸と本丸を

西の丸から佐伯市街と佐伯湾を見下ろす
本丸外曲輪跡から佐伯市街と佐伯湾を見下ろす光景も素晴らしいですが、この西の丸からも、紅葉と相俟って素晴らしい眺望です。
49西の丸からの眺望

西の丸二重櫓跡
西の丸の先端にも二重櫓が建っていました。ここから見下ろす光景もなかなかのものです。
51西の丸二重櫓跡からの眺望

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