大隅 蒲生城(姶良市蒲生町)

本丸・二の丸間の堀切

島津氏と最後まで敵対した蒲生氏435年の居城

読み方

かもうじょう

別名

龍ケ城

所在地

鹿児島県姶良市蒲生町久末(龍ヶ城城山公園)
【アクセス】
姶良市役所支所の東を通る県道42号線(空港道路)を400mほど南進し、2つ目の信号(1つ目の信号は2又に分かれるが、左へと東進する)を右折し、県道25号線を1.3kmほど南進するて、左手に案内板がある。そこを左折し、道なりに2kmほど登って行くと、二の丸下の広い駐車場へ出る。
姶良市役所支所:姶良市蒲生町上久徳2399、電話0995-52-1211

形状

山城(標高162.5m)

現状・遺構等

【現状】 蒲生城山公園(山坂達者の森)
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、堀切、井戸跡、石碑、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2012/11/17

歴史等

宇佐八幡宮の留守職藤原基通の子・教清と、宇佐八幡大宮司の娘との間に生まれた藤原舜清(ちかきよ)は、保安年間、宇佐八幡の神領管理のため大隅垂水に来往したが、同4年(1123)蒲生の院の総領職に補せられて蒲生・吉田を領し、蒲生城を築き、これに移った。
舜清の子孫は、地名の蒲生氏を称し、代々居城してこの地を領し、17代範清に至った。
範清は渋谷・北原・菱刈氏と共に島津貴久と敵対したので、弘治3年(1557)、蒲生城は島津貴久の大軍に攻められ、範清は城に火を放ち祁答院良重の居城虎居城へと逃れた。
これにより、435年にわたった蒲生氏の歴史は終わりをつげ、蒲生の地は島津氏直轄地となり比志嶋国真が地頭として在居した。
『「現地説明板」、「日本城郭大系18」ほか参照』

現況・登城記・感想等

蒲生氏郷でお馴染みの蒲生号であるが、こちらは「かもう」と読み、濁らない。恐らく、どちらも古代氏族の鴨族からきているのだろうが・・・。
蒲生城は、龍が伏した形に似ていることから龍ヶ城とも呼ばれ、龍ヶ山全体を城郭化した壮大な山城で、城域は周囲8kmにもおよぶ。縄張りは、最頂部の本丸を中心に、西に二ノ丸、北に三ノ丸を配し、山の峰ごとに倉ノ城、岩城、下城、東ヶ城等の曲輪を設けた複雑な縄張りのせいもあり、城跡を廻るのにも、ややもすると迷ってしまう。
現在、城跡は、龍ヶ城城山公園として整備され、二の丸と桜公園となっている曲輪からの眺望はよく、眼下に蒲生の市街を一望できる。
本丸の切岸下に立っている案内板によると、「本丸は5段の連郭になり、各曲輪への虎口には仕切門跡と土塁を留めており、最高所にある曲輪の虎口には石積みも見られる」とあったが、現在は、どの曲輪も雑木と薮に覆われており、僅かに土塁が確認できる程度である。
本丸と倉ノ城との間にあるシラス台地の浸食谷を利用した深い堀切とそこに架かる土橋は迫力満点だ。
時間が足りなかったので、全てを廻り切ることは出来なかったが、案内板によると、散策路が充実しているようなので、ゆっくり見て廻ると、もっと満足できたことだろう。
(2012/11/17登城して)

ギャラリー

蒲生城縄張り略図(現地案内板より)
蒲生城跡へは、車で山頂部の広い駐車場まで登って行ける。駐車場には、蒲生城山公園の案内図載せられた案内板が立っている。ただ、縄張りが複雑なためか、或いは、この案内板の示す道が正確ではないのか、迷ってしまった。
蒲生城縄張略図

【登城記】
蒲生城跡の駐車場に着いたのは、15:00過ぎ。西国とはいえ、11月17日だ。日の暮れるのは早い。おまけに、蒲生城跡は、鬱蒼とした山の中にあり、訪れる人もなく、周囲はシーンと静まりかえっている。蒲生城は、大規模な山城で、全部見て廻れば半日は掛かるでしょう。そういうわけで、駆け足混じりでの45分間の城めぐりになりました。見れなかったところは、多いが、それなりに満足する城めぐりでした。
模擬城門
案内板の横に模擬城門が建てられていたので、これがてっきり本丸への登城道かと思い、登っていった。
IMG_6818

登城道
道は綺麗に整備されているが、かなり急な道が続く。
IMG_6819 IMG_6820

物見台跡?
模擬城門から急な階段を登ること、3分ほどで山頂部に到着する。山頂部には櫓風の展望台が建てられているが、案内板と見較べても、ここが何処なのか分からない。位置的には駐車場の北東部の山であり、多分、物見台が建っていたのでしょう。
IMG_6823

大空堀
物見台周囲は急崖になっている。物見台奥の、この大空堀は、シラス台地の浸食谷を利用したものでしょう。
IMG_6824

本丸と二の丸間の堀切
一旦、駐車場まで戻り、案内板を再度見て、本丸方面への登城道をやっと見付けました。登城道は、いきなり大堀切です。この堀切は、本丸と二の丸を断ち切るとともに、本丸や二の丸他、多くの曲輪への道(堀底道)でもあります。
IMG_6826

本丸・二の丸・水の手の分岐点
堀底道を過ぎると、すぐに本丸と二の丸、そして水の手への分岐点へ出る。写真は二の丸へ登る道です。
IMG_6827

段曲輪
まずは本丸へ向かって歩いて行くと、左側(本丸は右側)に段曲輪が。
IMG_6831

本丸切岸
右側には、4~5mほどの切岸が続く。切岸の上は、本丸ですが、登って行けそうなところが見つかりません。
IMG_6832

岩城遠望
しばらく歩いて行くと、左側は崖になり、その向こうに釣鐘のような形をした山が見えた。位置的に考えると「岩城」らしい。
IMG_6833

本丸案内図
さらに、しばらく歩いて行くと、本丸跡についての案内板が立っていた。それによると「本丸は5段の連郭になり、各曲輪への虎口には仕切門跡と土塁を留めており、最高所にある曲輪の虎口には石積みも見られる」とあった。
蒲生城本丸絵図

本丸虎口
本丸へは、まともに登って行けるような場所がなかったが、本丸最高所の曲輪への虎口の下から、何とか登って行けそうだったので、強引に登って行くと、土塁に挟まれた虎口が確認された。本丸案内図によると、「若干の石積みが見られる」とあったが、それらしきものは見付からなかった。
IMG_6834

本丸跡
本丸跡は、全く整備されておらず、雑木林に・・・( ̄ー ̄;。とても、入って行く気になれなかった。
IMG_6835

堀切
本丸の東端部には堀切が。この堀切も、倉ノ城へ通じる道になっている。
IMG_6837

大堀切と土橋
堀切を抜けると、大堀切に架かる土橋が現れる。この先には、倉ノ城があるようだが、時間もないし、引き返した。
IMG_6839

大堀切を見下ろす
土橋の両側の堀切は、シラス台地の浸食谷を利用したものでしょう。深さ20mほどもあり、すごい迫力です。
IMG_6841

二の丸
先程通った、本丸・二の丸・水の手の分岐点に戻り、今度は、二の丸へ登って行った。二の丸は数段になっている。
尚、二の丸の範囲は、この部分だけではなく、このあとに訪れる桜公園下の腰曲輪から桜公園公園を含み、ここまで一帯が二の丸だという。
ということは、駐車場の辺りも二の丸ということですね。

IMG_6865

二の丸の展望台
二の丸の最上段部には、滑り台付きの櫓風展望台が建てられている。
IMG_6866

桜公園へ
駐車場の北側は桜公園であるが、ここも二の丸の一部である。公園入口には、模擬城門が建てられている。

IMG_6867

空堀
桜公園入口手前には空堀が設けられている。
IMG_6868

桜公園
桜公園は、非常に綺麗に整備されている。お花見の時には賑わうのでしょう。
IMG_6870

城址碑
桜公園の南端には城址碑が建てられている。
IMG_6871

腰曲輪
桜公園の北側下には腰曲輪が設けられており、紅葉が綺麗だった。また、ここから見下ろす蒲生市街地と山並みの眺望はなかなかのものです。
IMG_6874

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント