アグリジェント(シチリア州アグリジェント県)

コンコルディア神殿

ギリシャの植民都市として建設され、BC5世紀にカルタゴに破壊されるまで栄えた城塞都市

イタリア語名

Agrigento

所在地

シチリア州アグリジェント県アグリジェント

訪城日

2016/05/17

歴史等

ギリシャの島々からやってきた人々が、近くのジェラの住人とともにこの地に入植したのはBC6世紀のことでした。
この植民地アクラガスは専制君主の下で僅かのうちに強大な富裕都市に成長していき、威厳あるドーリア式神殿がいくつも街に建てられ、アクラガスの覇権を誇示していました。
しかし、BC5世紀末にカルタゴとイメラ(ヒメラ)に攻められ、長い籠城の末に食糧が尽きて陥落しました。
その後、再興した町は、今度はカルタゴとローマの争いに巻き込まれ、BC210年にやっとローマ支配下で平和を見出しました。ローマ時代、アグリゲントゥムと呼ばれた町は平和な繁栄を享受しました。
ローマ帝国が衰退した後、9世紀初めにはアラブの支配を受けるようになり、町の名はジルジェンティに改められましたが、この名はその後も長く使われ続け、現在のアグリジェントという名に改められたのは1927年6月のことでした。
その後、パレルモと同様、*スワビア人の支配を受け、14世紀には**キアラモンテ家の所領となりました。
続く、***アラゴン王家の統治下では、関税上の特権を得て、貿易が栄えました。
また、19世紀後半には****ブルボン支配の打倒を目指す激しい運動が展開されました。
『現地購入誌・芸術と歴史の島シチリア他参照』

*スワビア(Swabia):ドイツ南部の歴史地名。
**キアラモンテ家はフランス出身で、14世紀シチリアを代表する封建領主で、シチリアでは“キアラモンテ時代”とまで言われ、芸術や建築の分野でも“キアラモンテ様式”という言葉がある。
***アラゴン王国:中世後期のイベリア半島北東部、現在のスペインのアラゴン州に存在した王国。
****シチリア・ブルボン朝:1734~1860年まで続いた、ブルボン家によるナポリ王国・シチリア王国(のち両シチリア王国へ統合)の支配を指す。

現況・登城記・感想等

アグリジェントは大きく分けて、山頂部の「アクロポリス」と「神殿の谷」からなります。
「アクロポリス」とは、古代ギリシアのポリスのシンボルとなった小高い丘のことで、「高いところ、城市」を意味し、多くは城壁で固められた丘に神殿や砦が築かれています。
アグリジェントのアクロポリスにも、かつては大神殿が築かれ、古代ギリシャ時代は都市国家「アグリジェント(当時の名はアクラガス)」で最も神聖な場所でしたが、今では大神殿の跡に大聖堂が建ち、大部分が市街地となり往時の面影はほとんど残っていないようです。 
一方、「神殿の谷」は名前こそ「谷」となっていますが、「アクロポリス」の南側のアーモンドの木や果樹の広がる高台に、「ジュノーネ・ラチニア(ヘラ)神殿」、「コンコルディア神殿」、「ヘラクレス(エルコレ)神殿」、「オリンピアのジュピター(ゼウス)神殿」、「カストル・ボルクス神殿」など古代ギリシャ期の20近い神殿群が残っています。 中でも「コンコルディア神殿」は見事な状態で残り、これぞギリシャ神殿といった感じです。
一方、「オリンピアのジュピター神殿」は、紀元前5世紀初めの「ヒメラの戦い」での戦勝記念として建てられたものですが、規模があまりにも大きすぎて(エフェスのアルミテス神殿に次ぐ大規模なものであった)、建設に年数がかかったため未完成なまま、BC5世紀末に再びカルタゴに攻められて敗れた際に徹底的に破壊されたのだそうです。
というわけで、今ではどこが神殿かと言いたくなるほど瓦礫の山ばかりですが、ギリシャ世界で最大級の規模の神殿だったようです。
ただ、神殿の外壁に巡らされた高さ約17mの円柱の間で軒を支えていたという高さ8m弱の巨大なテラモン(人柱像)が横たわる形で復元され、神殿が如何に巨大であったかが想像できます。
また、神殿の谷には城壁もかなり良好に残り、この神殿の谷が城塞そのものであったのがよく分かります。
城壁には所々に穴があけられていますが、ビザンチン時代の墓室であったとのことです。さらに、それとは別に初期キリスト教徒の墓地も良好に残っています。
アクロポリス側の神殿の谷の北斜面には「ヘレニズム・ローマ期地区」があり、今尚、住宅跡などの発掘が進んでいるようでした。
尚、神殿の谷から見下ろすパノラマも明るくて、これぞ地中海といった感じで素晴らしいです。
(2016/05/17訪れて)

ギャラリー

【アクロポリス遠景】(神殿の谷から撮影)
アクロポリスとは、古代ギリシアのポリスのシンボルとなった小高い丘のことで、「高いところ、城市」を意味し、多くは城壁で固められた丘に神殿や砦が築かれています。
アグリジェントのアクロポリスにも、かつては大神殿が築かれ、古代ギリシャ時代は都市国家「アグリジェント(当時の名はアクラガス)」で最も神聖な場所でしたが、今では大神殿の跡に大聖堂が建ち、大部分が市街地となり往時の面影はほとんど残っていないようです。
アクロポリス1

神殿の谷には、地元の小学校の野外学習でしょうか、先生に率いられて多くの子供たちが来ていました。
アクロポリス2

【神殿群】
「神殿の谷」は名前こそ「谷」となっていますが、「アクロポリス」の南側のアーモンドの木や果樹の広がる高台に、古代ギリシャ期の20近い神殿群が残っています。
我々のツアーは、神殿の谷の東側の「ジュノーネ・ラチニア(ヘラ)神殿」へ廻り、ここから一直線に「コンコルディア神殿、ヘラクレス(エルコレ)神殿」、「オリンピアのジュピター(ゼウス)神殿」、「カストル・ボルクス神殿」へと歩いて行きました。
「ジュノーネ・ラチニア(ヘラ)神殿」
神殿の谷の東端、標高120mの丘の頂点に建つ周柱式ドーリス式神殿で、BC460~440年頃に建造されました。
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ギリシャ神話の最高神ゼウスの正妻ヘラを祭っています。ヘラは結婚生活を守護する女神であると同時に船乗りの守護神でした。BC406年にカルタゴの進攻にあって炎上し、中世の地震で全壊しました。25本の柱とアーキトレーヴ(柱の上の横材)の一部が残っています。
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基壇や柱の所々に残る白い漆喰は、ギリシャ時代に基壇や柱が白く塗られていた跡だそうです。
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「コンコルディア神殿」
大きく開けた丘の上、広々とした海を背景に建つ周柱式ドーリス式神殿で、BC450~440年頃に建造されました。「コンコルディア」とは和解・平和・調和を象徴する女神のことです。ビザンチン時代の6世紀末にキリスト教のバジリカ(聖ペテロ・パウロ教会)に転用されたため破壊を免れ、神殿の谷の中でも最も原形をとどめています。今も残る内室の壁に沿ったアーチはこの当時のものだそうです。
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コンコルディア神殿の手前にある青銅の像は、IGOR MITORAJ作「IKARO CADUTO」で、2011年という近年の作品です。
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「ヘラクレス(エルコレ)神殿」
ヘラクレスは古代アグリジェント(当時の呼称はアクラガス)で特に崇敬された神の一柱です。細長い神殿構造は、この神殿がアグリジェントの周柱式ドーリス式神殿の中で最も古い時代(BC520頃)に建造されたことを物語っています。ファサードに6本、側面に15本の円柱が並んでいましが、地震で倒壊。1924年に英国の考古学者ハードキャッスル卿により現在の8本の柱が復元されました。
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周囲には崩れた円柱が転がっています。
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ヘラクレス神殿の東側には、石材の重さで窪んだ轍の跡が見られますが、道路の跡と考えられます。
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「オリンピアのジュピター(ゼウス)神殿」
「オリンピアのジュピター(ゼウス)神殿」は、紀元前5世紀初めの「ヒメラの戦い」での戦勝記念として建てられたものですが、規模があまりにも大きすぎて(エフェスのアルミテス神殿に次ぐ大規模なものであった)、建設に年数がかかったため未完成なまま、BC5世紀末に再びカルタゴのハンニバルらに攻められて敗れた際に徹底的に破壊されたのだそうです。というわけで、今ではどこが神殿かと言いたくなるほど瓦礫の山ばかりですが、ギリシャ世界で最大級の規模の神殿だったようです。
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巨大なテラモン(人柱像)のレプリカ
しかし、神殿の外壁に巡らされた高さ約17mの円柱の間で軒を支えていたという高さ8m弱の巨大なテラモン(人柱像)が横たわる形で復元され、この神殿が如何に巨大であったかが想像できます。
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オリンピアのジュピター(ゼウス)神殿から西へと広大な瓦礫の中を進みますが、「U」型の溝が刻まれた石が確認されますが、この溝にロープを架けて石を吊り上げたとのことです。
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「カストル・ボルクス神殿」
瓦礫を通り抜けると、遠くに神殿の角の部分のみが目に入ってきます。紀元前5世紀に建てられたものですが、カルタゴ軍に破壊されました。その後ヘレニズム期に修復されましたが、地震で倒壊しました。1832年に周辺の断片を利用して復元されました。この周囲はアクラガス(アグリジェント)でも最古の地域で、大小様々な神殿の基部や祭壇、聖域、濠などが認められます。
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【城壁&墓室、墓地】
神殿の谷の南面には城壁もかなり良好に残り、この神殿の谷が城塞そのものであったのがよく分かります。
「城壁」
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「ビザンチン時代の墓室」
城壁には所々に穴があけられていますが、ビザンチン時代の墓室であったとのことです。
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「初期キリスト教徒の墓地」
初期キリスト教徒の墓地も良好に残っています。
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【神殿の谷からの眺望】
神殿の谷から見下ろすパノラマも明るくて、これぞ地中海といった感じで素晴らしいです。
「ヘラ神殿前から」
ヘラ神殿からの眺望

「城壁脇から」
城壁脇からの眺望

「コンコルディア神殿脇から」
コンコルディア神殿横からの眺望

【ヘレニズム・ローマ期地区】
アクロポリス側の神殿の谷の北斜面には「ヘレニズム・ローマ期地区」があり、今尚、住宅跡などの発掘が進んでいるようでした。
ヘレニズムローマ期地区2

ヘレニズムローマ期地区3

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