トラモンターノ城(バジリカータ州マテーラ)

カステッロ公園に残る円柱や城壁など

1497年ソレント伯爵トラモンターノにより築かれたが、苛政のため住民により惨殺され建設中断

イタリア語名

Castello Tramontano

所在地

バジリカータ州・マテーラ県マテーラ

訪城日

2016/05/20

歴史等

マテーラの町は、紀元前3世紀にローマ人によって造られたと云われています。共和制ローマ時代の執政官クイントス・ツェチーリオ・マテーロの名を取って「マテオーラ(Matheola)」と呼ばれるようになり、それが後に「マテーラ」となりました。
7世紀~8世紀、周辺の洞窟にギリシャ正教ベネディクト派の修道僧たちが住むようになりました。
11世紀、現プーリア州にノルマン人が侵入し、1043年からノルマンのグリエルモ・ブラッチ・ディ・フェッロによって支配されました。この頃に、サッシ地区(サッソ・バリザーノ地区、サッソ・カヴェオーゾ地区)が建設され、修道僧が住まなくなり、マテーラには農民が住みつくようになりました。
その後、疫病や地震など苛酷な時代を経て、1497年ナポリ王フェルディナンド2世は、この地をソレント伯爵ジャンカルロ・トラモンターノに与え、マテーラ伯爵としました。
彼は、トラモンターノ城(Castello Tramontano)の築城をはじめたのですが、住民に重税を課したことから、住民がこれに反発して1514年に伯爵を惨殺、城の建設は中断しました。
『イタリア世界遺産と歴史の旅・武村陽子著(彩図社刊)他参照」

現況・登城記・感想等

トラモンターノ城跡は、マテーラの町の南にあるカステッロ公園になっています。バス停のすぐそばの丘の上が公園で、かなり規模の大きい円柱形の塔が数基と城壁などが見えましたが、時間が全くなくて丘の上へ登って見ることができませんでした(/。ヽ)。
しかし、マテーラといえば、やはり主役は「洞窟住居群」でしょう。
旧市街地区には、石灰質の岩肌に造られた「サッシ」と呼ばれる多くの洞窟住居がある光景は、トルコのカッパドキアを思い出し、懐かしいような気がしました。
パスコリ広場の展望台から見渡す「サッソ・カヴェオーソ地区」の小さな洞窟住居が谷の斜面の崖にへばりつく白い廃墟のような独特の光景は圧巻です。また、その洞窟の白い壁が薄汚れていることにより、かえって郷愁を感じさせ魅力を増しているような気さえします。
尚、このサッシ地区も、往時はトラモンターノ城の城域であったようで、城建設の中断後、城壁などの石が住宅資材として盗まれていきましたが、今も城壁が一部残っています。
(2016/05/20訪れて)

ギャラリー

駐車場そばのカステッロ公園に残るトラモンターノ城の円柱ほか
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サッソ・カヴェオーソ地区 ~画面をクリックにて拡大~
マテーラといえば、やはり主役は「洞窟住居群」でしょう。パスコリ広場の展望台から見渡す「サッソ・カヴェオーソ地区」の小さな洞窟住居が谷の斜面の崖にへばりつく白い廃墟のような独特の光景は圧巻です。また、その洞窟の白い壁が薄汚れていることにより、かえって郷愁を感じさせ魅力を増しているような気さえします。
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このサッシ地区も、往時はトラモンターノ城の城域であったようで、城建設の中断後、城壁などの石が住宅資材として盗まれていきましたが、今も城壁が一部残っています。
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