サラセンの塔(アマルフィ海岸)

アマルフィの山上と海に突き出た岬に残るサラセンの塔

サラセン人(海賊)の略奪に備えて築かれた監視塔

所在地

カンパニア州サレルノ県

訪城日

2016/05/21

歴史等

8世紀、アラビアから発したイスラム勢力は、シリア、エジプトへ侵略し、さらに北アフリカのリビア、チェニジア、アルジェリア、 モロッコを、そしてジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島 (スペイン)をイスラム圏に取り込んでいきました。
9世紀に入ると、シチリアや南イタリアへ押し渡り、南イタリアに住むキリスト教住民を恐怖に陥れました。
イタリア半島からフランスの地中海に面した海岸の町は、9世紀から10世紀にかけて、*サラセン(アラブ)の海賊の襲撃に震えおののき、大規模な修道院は度重なるサラセンの海賊の略奪に備えて、城塞のような造りに変えました。
多くの人々は海に近い土地を捨てて、安住の地を求めて切り立った崖の上や、山間部奥深くに移り住みましたが、中には、生活に不自由な山岳に逃れたりせず、海岸の地に留まる住民もいました。その象徴が、地中海貿易でヴェネチアに匹敵する繁栄を誇った、海洋都市国家アマルフィです。
急斜面に家を建て、快適性を犠牲にして、曲がりくねった小路を迷路のように町中に張り巡らせました。狭い坂道の先に、突然広場が開けるといった町並みで、賊がまぎれ込むと小路を鉄の扉でふさいで袋のネズミにしました。
そして、いつ襲ってくるかわからない海賊をいち早く発見して、被害を最小限に食い止めようと、海を眺望できる岬や崖の上に、「サラセンの塔」と呼ばれる監視塔を、数kmごとに建て、さらにサラセン人の来襲を迎え撃つ軍船隊が組織されました。
『ローマ亡き後の地中海世界1・塩野七生(新潮文庫刊)参照』

*サラセン人
古代ギリシャ語の「サラケノイ(Sarakenoi)」に由来しており、古代から知られていた。但し、この呼び名はアラブ人全体を指しての名称でなく、アラブ民族の一部で砂漠にすむベドウィンを指す名であったらしい。その遥か後、イスラム教徒が北アフリカを制圧した頃に、キリスト教徒の中で、イスラム教徒全体の呼称として「サラセン人」が定着した。

現況・登城記・感想等

【アマルフィ海岸】 ~画面をクリックにて拡大~
ポジターノからサレルノまでの全長約37kmの海岸線は、コスティエラ・アマルフィターナ(Costiera Amalfitana)と呼ばれ、世界でもっとも美しい海岸線と言われています。
アマルフィ海岸は、その自然の美しさやリゾート観光地として世界的に知られる世界遺産で、急峻な断崖絶壁の地形にポジターノ、プライアーノ、コンカ・ディ・マリーニ、アマルフィ、チェターラ、ヴィエトリ・スル・マーレなどの小さな町々がへばりついています。

アマルフィ海岸地図

【ソレント】
我々のツアーは、ナポリを出発してからナポリ湾の南側のソレント半島北側の町「ソレント」を右手下に見て、半島南側のアマルフィ海岸へ出ます。ソレントは、断崖絶壁の上に築かれた町で、民謡「帰れソレント」で有名です。崖下に広がる真っ青なナポリ湾と入り組んだ海岸線とが相俟って独特の光景を醸し出しています。
ソレント

【アマルフィ海岸へ】
ソレントから山中へ入り半島を横切るとアマルフィ海岸へ出ます。アマルフィ海岸の崖に沿って造られた道は、狭い上に、人気観光地でもあり交通量も多く、バスの大きさも規制があるそうです。尤も、規制があるとはいえ、我々の乗ったバスは40人ほどは乗れるようなバスで、決して小さなバスではなく、対向車(特にバス)との擦れ違いもギリギリで、運転手さんは大変です。
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崖の下にサラセンの塔が
狭い道をアマルフィに向かって綺麗な景色を眺めながら行くと、崖下の少し突き出た所にサラセン人からの攻撃に備えて築かれた円柱形のサラセンの塔が幾つも見えます。
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【ポジターノ】 ~画面をクリックにて拡大~
ナポリを出発してから約1時間半、アマルフィ海岸の西端にあるポジターノの町が見えてきました。ポジターノはサレルノ湾に面した崖に家がへばりつく人口4,000人ほどの小さな町ですが、多くの日本人は2009年に公開された織田裕二主演の映画『アマルフィ 女神の報酬』で撮影された美しいポジターノの町のシーンを想い起すのではないでしょうか。そして、アマルフィ観光が日本で人気になったのも、この映画が契機になったのではないでしょうか。
我々のツアーは、ここで写真タイムでしたが、急峻な地形にカラフルな家々がへばりつくポジターノの町に、真っ青なティレニア海が相俟ってまさに絶景です。
ポジターノ

【プライアーノ】 ~画面をクリックにて拡大~
プライアーノはポジターノとアマルフィの中間あたりにある人口2,000人ほどの町で、ここも急崖の地形に家々がへばりつくように建てられています。また、少し突き出た小さな岬の突端には「サラセンの塔」が見えます。
プライアーノ

サラセンの塔(プライアーノ)
プライアーノのサラセンの塔

【コンカ・ディ・マリーニ】 ~画面をクリックにて拡大~
プライアーノから東へ約10分、コンカ・ディ・マリーニへ・・・。コンカ・デイ・マリーニは、「イタリア人が選ぶイタリアでもっとも美しい村」に選ばれています。コンカ・デイ・マリーニとはイタリア語で、「海の民」の「窪んだ土地・谷間」という意味で、まさに文字通り、風土がそのまま地名に転じました。
海に突き出た岬に、ちょっとした砦が見えます。形こそ円柱形ではありませんが、これもサラセンの塔のひとつでしょう。尚、この岬には「エメラルドの洞窟」があるそうです。

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城壁とエメラルドの洞窟へのエレベーター塔
一方、断崖の上には城壁が見えます。これも、サラセン人の攻撃に対する防御のためのものでしょうか。
また、道路沿いにはエメラルドの洞窟へのエレベーター塔(写真手前)があり、20人ほど乗れるボートで洞窟内部を観光できるそうです。

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エメラルドの洞窟と城砦(コンカ・ディ・マリーニ) ~画面をクリックにて拡大~
岬にはちょっとした砦跡が建っています。エメラルドの洞窟は、1932年地元の漁師によって偶然発見されたそうで、エメラルドグリーンに光った水だけでなく、とんがり屋根のアルベロベッロの街並みに似た、ユニークで様々な形の鍾乳石が見られるそうです。
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【アマルフィ】
アマルフィはアマルフィ海岸の中心的な町で人口5,000人ほどです。339年に交易所が設けられたのが町の始まりとされ、9世紀から12世紀にかけて存在した海洋都市国家のアマルフィ公国(アマルフィ共和国)があったところで、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどのイタリア北部の町が台頭してくるまでは、イタリアの商業の中心地として地中海貿易を支配していました。
アマルフィの町が・・・。 ~画面をクリックにて拡大~
コンカ・ディ・マリーニから10分ほどすると、前方にいよいよアマルフィの町が見えてきて、山の中腹と岬にはサラセンの塔が見えます。
アマルフィのサラセン塔

アマルフィ中央部 ~画面をクリックにて拡大~
アマルフィの地形は左右(東西)に岩山が屹立し、その渓谷に岩にへばりつく様な形で街ができました。岩山のそれぞれの崖の上には城壁を巡らし、堅固な塔も建てられました。更に渓谷の奥には城門を設け、海に向いては、海の門が設けられました。写真は町の南側にある防波堤の突端から撮影したものです。
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アマルフィ西部分 ~画面をクリックにて拡大~
アマルフィの町の東側の山の中腹と海に突き出た岬に、アマルフィの町に到着する前に見えた「サラセンの塔」が見えます。
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アマルフィ西部分の2基のサラセンの塔をズームアップ ~画面をクリックにて拡大~
アマルフィ

山腹のサラセンの塔をズームアップ
山腹の塔の右には城壁らしきものも確認できますが、登って行く時間がなかったのでよく分かりません(/。ヽ)。
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アマルフィ東部分 ~画面をクリックにて拡大~
アマルフィの町の西側の山上にも塔と城壁らしきものが見えますが、これまたよく分かりません。
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海水浴 ~画面をクリックにて拡大~
アマルフィの町の海岸は海水浴場になっているようで、5月にも関わらず多くの海水浴客(日焼けのため?)がいました。背後の塔は、アマルフィの西側の海に突き出たサラセンの塔です。
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ドォーモ
一般的には、アマルフィの一番の見どころは、この小さな町にはそぐわない立派なドォーモでしょう。背後上にサラセンの塔が見えます。
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