カプリ島の城塞と塔(ナポリ県)

マリーナ・ピッコラの東側の絶壁の岩山山頂に築かれたカスティリョーネ城

青の洞窟をはじめとした人気の観光地カプリ島に築かれた城塞や塔の数々

所在地

カンパニア州ナポリ県カプリ、アナカプリ

訪城日

2016/05/21

歴史等

カプリ島は、元々はテレボアイ人が住んでいた島で、紀元前8世紀からギリシャに植民地化されました。
その後、紀元前5世紀末にはナポリの支配下に置かれました。
紀元前29年、後のローマ皇帝アウグストゥスはカプリ島が気に入り、近くにイスキア島を代わりに譲り、カプリ島をナポリの支配下から奪い、個人的な休養地として支配地としました。
しかし、アウグストゥス自身は利用する機会に恵まれず、紀元前14年に、後を継いだティベリウスは、ここに政治の中心を移し、皇帝たちの住居を建て、宮廷を移し、隠棲しながら政務を行ないました。
その後、後継者である甥のカイギュラが皇帝の任を得る舞台となりましたが、続く皇帝たちはカプリ島を次第に見捨てていき、西ローマ帝国の滅亡によって、帝国の所有でなくなり、その後はナポリ王国と運命を共にします。
中世、特に9世紀から11世紀にかけて、カプリ島はサラセン軍の侵攻の対象となり、そのため島民はアナカプリの高い町の赤ひげ城(Castello Barbarossa)内へと立て籠もるようになりました。アナカプリは難攻不落の地で、島民たちは、ナポリ公国軍に力を貸して、サラセン軍相手の戦いに参加しました。
(赤ひげ城) ~現地購入誌・カプリより~
赤ひげ城
その後、カプリ島はアンジュー家やアラゴン家に支配され、豊かな時代を迎えました。
しかし、16世紀には、トルコ人が何度もやって来て略奪を繰り返しました。この時、海岸線の防衛と地域運営のために海岸に沿って監視塔がいくつも建設されました。また、侵攻者が道に迷うように狭くて曲がりくねった道や路地が造られました。
19世紀にはイギルスとフランスが何度も入れ替わって支配しましたが、この時期に小要塞群が築かれました。
19世紀には青の洞窟などが紹介され、観光地として世界中から人々が訪れるようになりました。
『「現地購入誌・カプリ」他参照』

現況・登城記・感想等

カプリ島は「青の洞窟」をはじめ、風光明媚なことで知られる人気の観光地ですが、複雑な歴史があり、赤ひげ城(Castello Barbarossa)をはじめ多くの城塞やサラセンの塔などの監視塔が残っています。
残念ながら、団体ツアーの身の上では、それら城塞や監視塔を見て廻ることはできず、島の周囲を廻る遊覧船から、遥か遠くに見える城塞や塔を眺めることしかできませんでした。しかも、その多くを見落としたようです。
しかし、紺碧の海と奇岩と絶壁の海岸線や美しい町並みの光景は感動ものでした。ただ、波が高くて「青の洞窟」へ入ることが出来なかったのは残念無念(;>_<;)。
(2016/05/21訪れて)

ギャラリー

カプリ島マップ
カプリ島は、イタリア南部のティレニア海にある島で、ナポリ市街からナポリ湾を挟んで南へ約30kmに位置し、カプリとアナカプリの2つのコムーネ(基礎自治体)があります。
capri-map

マリーナ・グランデ(MARINA GRANDE) ~画面をクリックにて拡大~
カプリ島の北に位置し、島への入口になります。港に続く浜辺の向こう側の街並みは規則正しく、パステルカラーで色とりどりに家の壁が塗られています。
我々の遊覧船は、この港から時計回りに島の周囲を一周します。

マリーナグランデ

マリーナ・ピッコラ(MARINA PICCOLA) ~画面をクリックにて拡大~
マリーナ・グランデの港を出発して、紺碧の海や断崖絶壁の海岸や奇岩・巨岩を見物しながら25分程すると、島の南側にあるマリーナ・ピッコラが見えてきます。この美しい入江が幾つも続くこの場所には映画の国際的トップスターが何人も訪れたそうです。
尚、サラセン要塞(Torre Saracena)が見え隠れします。また、東側の断崖絶壁に岩山の上にはカスティリヨーネの城が見えます。

マリーナ・ピッコラ

カスティリヨーネの城(IL CASTELLO DEL CASTIGLIONE)~画面をクリックにて拡大~
カスティリヨーネの城は、カプリ島の南側全域を見渡す崖の上に建っています。中世に起源をもつ当城は、ギリシャ時代のネクロポリス(古墳地帯)に建っています。サラセン軍が襲撃してきた時代には、当城は難攻不落の城としてカプリ市民の避難場所になりました。尚、写真左下の遺跡も、城塞の一つではないでしょうか?
カスティリョーネ城

プンタ・カレーナ地区の塔と灯台 ~画面をクリックにて拡大~
島の南西角のプンタ・カレーナ地区には、円柱形の石造りの監視塔が残っています。また、岬の先端に建つ灯台は、航海上、イタリアで最も重要なものの一つです。
プンタカレーナ

プンタ・カレーナ地区の城砦と塔 ~画面をクリックにて拡大~
プンタ・カレーナ地区には塔以外にも、海岸端崖の上にちょっとした城砦もあります。右上の塔は、一段上の左上の塔と同じです。
プンタカレーナ城塞

青の洞窟
城とは関係ありませんが、何と言っても「青の洞窟」はカプリ島最大の見どころなので掲載しました。尤も、残念ながら当日は波が高いため入ってくことができませんでしたが(;>_<;)。
青の洞窟

断崖絶壁の上に城塞? ~画面をクリックにて拡大~
青の洞窟から、しばらく島の北岸を東進すると、断崖絶壁の上に城塞らしきものが見えましたが、果たして??
DSC_0323

パラッツォ・ア・マーレ(PALAZZO A MARE) ~画面をクリックにて拡大~
マリーナ・グランデの西のパラッツォ・ア・マーレ地区にはアウグストゥス帝が夏に滞在したヴィッラと定義され、ヴィッラの遺跡があります。
パラッツォ・ア・マーレ

ヴィッラの遺跡をズームアップ
遺跡

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント