シェーンブルン宮殿(ウィーン)

フランス式庭園越しにシェーンブルン宮殿を望む

ハプスブルク家の夏の離宮

ドイツ語名

Schloß Schönbrunn

訪城日

2012/06/03

歴史等

14世紀、現在のシェーンブルン宮殿の敷地はウィーンの市壁の外側、町のはずれにあり、「カッターブルク」と呼ばれ、クロスターノイブルク修道院の所有地であった。その後、時代とともに土地を管理する借地人も入れ替わり、土地も次第に拡張され地主の豪邸も建てられた。
1569年、皇帝マクシミリアン2世は狩猟に理想的なこの土地に目をつけ、ハプスブルク家の狩猟館と狩猟用の鳥獣管理の飼育所を建てさせた。
1576年、マクシミリアン2世が没すると、息子のルドルフ2世が継いだが、彼はその維持費は負担したが、一度も訪れることはなかった。
1612年、ルドルフ2世の弟マティアスが即位すると、彼は狩猟を楽しみ、敷地内に天然の泉を見付け、それが「シェーンブルン(Schönbrunn)」の名前のもとになったと云われる。シェーンブルン(Schönbrunn)とは美しい泉を意味するSchöner Brunnen(シェーナー ブルンネン)から派生した表現で、現在も宮殿庭園に残っている。
1619年、マティアスが没すると、従兄弟のフェルディナント2世が皇帝となり、皇妃エレオノーラ・ゴンザーガとともにたびたび訪れ、狩猟を楽しんだ。
1637年、フェルディナント2世が没すると、エレオノーラはシェーンブルンに城を建てさせ自分の住まいとした。城は1642年に完成し、初めて「シェーンブルン」という名が記録された。
1683年、オスマン帝国軍による第2次ウィーン包囲では、シェーンブルンも攻撃対象となり城は壊滅した。
1686年、皇帝レオポルト1世は息子ヨーゼフ1世のためなら、いくら予算をつぎ込んでもよいと、有名な建築家ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハに設計を依頼したが、出来上がってきた設計案はあまりにも費用がかかりすぎるため実現されなかった。そして1692年に、2つめの設計案が出され、ようやく建築が始まり、今日見られる姿に近い城が完成した。
皇帝ヨーゼフ1世の死後、その弟の皇帝カール6世が、さらに改築に着手し、その娘マリア・テレジアの時代に完了し、城は最盛期を迎えた。マリア・テレジアは、1743年から1763年にかけて、ロココ様式でファサードはピンクに塗られた豪華な装飾が施された宮殿にした。
マリア・テレジアが世を去る1年前の1779年、庭園公園は一般開放された。そして、19世紀初頭まで、ハプスブルク家の人々は宮殿を利用しなかった。
1805年と1809年、ウィーンはナポレオン率いるフランス軍に占領され、その際、ナポレオンはシェーンブルン宮殿の1室で過ごした。
1830年、シェーンブルン宮殿で生まれた皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、1848年に即位した。そして、絶世の美人として知られるエリーザベート(愛称シシィ)と結婚し、生涯の大半をシェーンブルン宮殿で過ごし、1916年にここで死去した。
1918年、オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊に伴い、新生オーストリア共和国の所有となり、改装され博物館にも利用されるようになった。
『現地購入誌・皇帝の都ウィーンほかより』

現況・登城記・感想等

広大な敷地に築かれたハプスブルク皇帝の夏の離宮「シェーンブルン宮殿」はさすがに豪華であり、綺麗に整備された広大な庭園もすごいとは思う。
しかし、私は、へそ曲がりなのか、どうもこの手のだだっ広い敷地に建つ、ワイドな建物に興味を覚えない。また、フランス式庭園も、綺麗だとは思うがあまりにも整いすぎて好みではない。
宮殿内には1,441の部屋があり、マリア・テレジアやエリザベート(シシィ)の暮らした豪華な部屋などをはじめ45の部屋が見学コースとして公開されており、私達も幾つかの部屋を廻った。確かに、「漆の間」や「大ギャラリー」等々、豪華ではあるが、昨年、ヴェルサイユ宮殿を訪れたあとなので、ついついそれと較べてしまうと・・・。
おまけに、見学時間が極端に短かくて、宮殿も庭園もほんの一部をさっと廻っただけな上、室内は写真撮影も禁止なので、記憶さえも・・・(/。ヽ)。
(2012/06/04登城して)

ギャラリー

正門
正門の両側に建つ塔の上には、ハプスブルク家の紋章「双頭の鷲」ならぬ、普通の鷲がとまっている。 
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シェーンブルン宮殿北側の広場から北面を
正門から入城すると正面にシェーンブルン宮殿が。 
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左(東)側を
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右(西)側を
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フランス式庭園の真ん中からシェーンブルン宮殿南面を
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フランス式庭園越しにシェーンブルン宮殿を
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双頭の鷲
宮殿南面の上には双頭の鷲が。 
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シェーンブルン宮殿から南方の丘の上のグロリエッテを望む
宮殿の南にはフランス庭園が広がり、中央には「ネプチューンの泉」があり、その背後の丘の上には「グロリエッテ」が聳える。シェーンブルン宮殿は、元々、この丘に建てられるはずだったが、壮大な建物を支えるには十分でないことが分かり計画は中止になったそうだ。「グロリエッテ」から見下ろすシェーンブルン宮殿とウィーンの森や街並み等々の光景が素晴らしいそうなので行きたかったが、フリータイムは、ほとんどゼロ(/。ヽ)。尚、宮殿からグロリエッテまでは徒歩20分ほどだそうだ。
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ズームアップ
グロリエッテは、プロイセンとの戦いに勝利したことを記念して建てられたギリシャ建築の記念碑である。「ネプチューンの泉」は、ギリシャ神話の海神ネプチューン(ポセイドン)に祈る女神テテイスを中心にした彫像から、時間に応じて噴水が流れ出るそうだが、工事中のようだった。また、その前でコンサートがあるらしく、舞台を設置しているようだった。 
グロリエッテ拡大

フランス式庭園越しに「ネプチューンの泉」と「グロリエッテ」を
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