カウナス城(カウナス)

カウナス城南東隅の塔

ドイツ騎士団の侵略を防ぐために築かれた国境の城

リトアニア語名

Kauno pilis

所在地

Pilies g. 17, Kaunas 44275 Lietuvos

歴史等

カウナス城は、13世紀にチュートン騎士団(ドイツ騎士団)の侵略を防ぐために築かれた。
カウナスの南西を流れるネムナス川は、当時騎士団領とリトアニアの国境になっていたため、何度もここで戦闘が行われた。
1363年には、騎士団に占領され破壊されたが、15世紀初頭のヴィタウタス大公の時代になって再建された。
しかし、1410年のジャルギリスの戦いで、チュートン騎士団(ドイツ騎士団)に勝利した後は、城としての重要性がなくなり、外賓を接客する際などに使われた。
1430年にヴィタウス大公が死去すると、権力がポーランド側に移り、1549年にはポーランド王でリトアニア大公のシギスムンド・アウグストゥスにより、城は妻・バーバラに与えられ、16世紀の間、城の増強・改築が行われた。
17世紀に入ると、城は何度もネリス川の氾濫で水害に遭ったが、その便利な立地条件からスウェーデン軍に使われたりした。しかし、その後、城としての使命は終わり、18世紀には監獄として使用された。
その後、ロシアの管理下になると、城の敷地内に家を建てることが許され、城は著しいダメージを受けることになった。
城の保護は1930年から始まり、近くの家々が取り壊され、城の敷地内が調査され、1950年代に塔が修復されて、現在はアートギャラリーとしてオープンしている。尚、主な修復復元が2010年から始まり2011年に完了した。
『「ウィキペディア・Kaunas Castle」、「地球の歩き方・バルトの国々15’16’」他参照』

現況・登城記・感想等

カウナス城は、カウナスの旧市街の北西部にあります。
城の北側を流れるネリス川を天然の水堀として利用し、他の3方を濠で取り囲んだ、いわゆる梯郭式の縄張りだったようで、城跡の東側から南側にかけて大規模な空堀跡が残っています。
城は、元々、4つの塔を持つ高さ9mの城壁に囲まれていたそうです。現在は修復された南東隅の塔とその周囲下に丸馬出しのような円形城砦、南面の長さ100mもの城壁などが当時の面影を残しています。
(2015/06/22登城して)

【カウナスについて】
リトアニア第2の都市のカウナスは、街の歴史も古く、さらには15世紀にはハンザ同盟都市となって交易の要として繁栄したので、旧市街には中世の面影がよく残り、旧市庁舎広場を中心に見どころも多い町です。
また、カウナスは、1920年から第二次世界大戦までの期間、ポーランドに併合されたヴィリニュスに代わってリトアニアの首都となっていた時代もあり、近郊には日本のシンドラーと称される杉原千畝が在籍していた旧日本領事館が「杉原記念館」として残っています。

ギャラリー

カウナス城全景(城跡の北東から濠越しに)
写真左の塔が、近年修復された南東隅の塔。写真右上、城壁の奥に見えるのは聖ゲルギオ教会です。 
01カウナス城全景

修復された南東隅の塔と円形城砦
城跡の南東隅には、修復された塔とその周囲下に丸馬出しのような円形城砦が・・・。
03塔のアップ

塔の上の風見鶏
塔の上には、「騎士の姿」と「1361 KAUNAS」の風見鶏が・・・。1361年は、現存する文書に初めてカウナスの名が登場した年です。
風見鶏

円形城砦を内側から
この円形城砦は、16世紀に増強されたもので、ここに鉄砲隊や弓隊が待ち受けるようになっていたのでしょう。内側に井戸跡のようなのがありますが、何かは分かりません。
04円形城塞

カウナス城全景(城跡の南西部から濠越しに)
城壁の下の方(濠底)にも石垣の一部が残っていますが、かつては二重城壁になっていたのでしょうか?
写真左には、リトアニアの国章であるヴィーティスと呼ばれる乗馬した騎士の絵の旗がはためいています。

05カウナス城全景

カウナス城南側の濠
カウナス城の南側の濠は、かなり埋まってしまい緩やかな濠になってしまっていますが、幅70~80m、深さ5~6mほどある大規模なものです。
写真左には、天然の水濠として利用されたネリス川が見えます。

07カウナス城と濠とネリス川

カウナス城南西隅の建物(内側から)
城跡の南西隅にも石造りの建物が残っています。今では物置小屋のようになっていますが、かつては、ちょっとした城砦だったのでしょう。
09南西の建物と城壁

カウナス城南面の城壁
11城内側から城壁と塔

石碑
本丸の東端には石碑が建てられています。中央に騎士の絵があり、その周囲に”1362”と”勇敢な大公云々”が何とか読み取れましたがよく分かりません(/。ヽ)。
石碑

塔の上へ
塔は、現在、アートギャラリーになっており階段を登って行けますが、残念ながら閉館でした(/。ヽ)。
21塔上へ

塔の上から南側の濠と城壁を見下ろす
23塔の上から城壁と濠を

塔の上から本丸とネリス川を見下ろす
城の北側にはネリス川が流れています。こうして見下ろすと、ネリス川が天然の水濠として利用されているのがよく分かります。本丸中央にも国章の旗がはためいています。
24曲輪とネリス川

塔の上から東側の濠を見下ろす
城の東側の濠の北側はネリス川まで落ちて行ってます。
25塔の上から濠を

【カウナス観光】
リトアニア第2の都市のカウナスは、街の歴史も古く、さらには15世紀にはハンザ同盟都市となって交易の要として繁栄したので、旧市街には中世の面影がよく残り、旧市庁舎広場を中心に見どころも多い町です。
また、カウナスは、1920年から第二次世界大戦までの期間、ポーランドに併合されたヴィリニュスに代わってリトアニアの首都となっていた時代もあり、近郊には日本のシンドラーと称される杉原千畝が在籍していた旧日本領事館が「杉原記念館」として残っています。
(カウナス旧市街)
市庁舎広場
市庁舎広場は、中世には市場がたった場所です。現在も旧市街の中心で、周囲をギャラリーや博物館として使用されているゴシック建築様式の建物に囲まれ中世のたたずまいを残しています。
写真右の建物が旧市庁舎で、左の建物がイエズス教会です。旧市庁舎はバロック様式の建物で、1542年に建設が開始され、18世紀半ばに現在の姿に建て直されました。帝政ロシア時代には政治犯の牢獄として、その後は皇帝の別宅としても使用され、現在は市の結婚登記所になっており、館内の一部は陶器博物館になっています。
イエズス教会は、17世紀建立の修道院併設の教会で、ソ連占領下では他用途に転用され、独立回復後に教会に復活したそうです。

市庁舎広場

モニュメント
市庁舎広場の中央には、自転車を吊るしたモニュメントが・・・。背後の建物ははイエズス教会です。
モニュメント

聖パウロ・ペテロ大聖堂
旧市街でもひときわ存在感のある赤レンガの美しい建物で、現在リトアニアのカトリックの司教座聖堂になっています。
聖ペテロ・パウロ大聖堂

聖ペテロ・パウロ大聖堂内部
大聖堂内部は綺麗な上、多くの彫刻やフレスコ画で埋められ、教会にはあまり興味のない私でさえ魅入ってしまうほどです。
聖ペテロ・パウロ大聖堂内部

聖ペテロ・パウロ大聖堂内部1 聖ペテロ・パウロ大聖堂内部2

ペルクーナスの家
市庁舎広場からネムナス川の方へ向かうと右手にあります。赤煉瓦造りのゴシック様式の建物で、15世紀にハンザ同盟の商人により建造され、16世紀にイエズス会の手に渡りました。この場所には、元はキリスト教受容以前の雷神ペルクーナスを祀る神殿があったそうです。
ベルクーナスの家

ヴィタウタス大公教会
ペルクーナスから、さらにネムナス川方面に進むとヴィタウタス大公教会があります。15世紀前半に建てられたゴシック様式の教会で、ヴィタウタス大公がタタール征伐に出掛けた時、戦場で奇跡的に難を逃れたことがあり、感謝の印に建てられたと云われています。
IMG_7173

聖ゲルギオ教会
カウナス城のすぐ南西に建っています。15世紀後半に建てられたゴシック様式の教会で、永らく廃墟となっていましたが近年修復が開始されたそうです。当日もまだ修復中のようでした。
ゲルギオ教会

(カウナス近郊)
カウナスの近郊の住宅街に、第二次大戦初期に杉原千畝がカウナスで領事代理として勤務していた旧日本領事館の建物があります。ナチスの迫害を逃れ、日本通過に活路を求めてやってきたユダヤ人に、本国の指示に叛いてまでビザを発行して多くの命を救った杉原千畝氏の話は有名です。その功績はリトアニアでも評価され、カウナスの旧日本領事館が杉原記念館として保存されています。
杉原千畝記念館(旧日本領事館)
杉原千畝記念館(旧日本領事館)は、
高級住宅街の中にひっそりと佇んでいます。
IMG_7121

執務室
この執務室で必死にビザを手で書き続けたんですね。
IMG_7118

IMG_7112

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