リガ旧市街の北東部に僅かに残る城壁と濠と復元されたラメーラ塔
ドイツ人によるバルト地方征服の根拠地となった城塞都市
ラトビア語名
Rīga
日本語では「リガ」と表記する場合が多いが、ラトビア語では「リーガ(riːɡa)」という。
所在地
ラトビア共和国リガ市
形状
城塞都市
歴史等
歴史上リガの名が初めて登場したのは1198年であるが、リガの町の建設は、1201年にブレーメン(ドイツ)の僧正アルベルトが上陸し要塞を築いたことに始まる。その際、帯剣騎士団を組織し、リガはドイツ人によるバルト地方征服の根拠地となった。
中世に入るとリガは急成長を遂げ、さらに13世紀末にはハンザ同盟に加盟し、東西の交易に重要な役割を担うようになった。
その後、時代の推移とともに、リガには多くの権力交代が起こり、16世紀にリヴォニア騎士団国が崩壊すると、ポーランド・リトアニア連合国、スウェーデン、帝政ロシアの支配下に入った。
1918年11月18日にラトビア国の独立が宣言され、リガは首都となった。
その後、50年間にわたるソ連による占領時代を経て、1991年8月21日、ラトビア共和国が独立を回復し、再び首都となった。
『「現地購入誌・リーガ」、「地球の歩き方・バルトの国々」より』
現況・登城記・感想等
リガ旧市街は、多くの中世都市と同じように13世紀から18世紀頃までは城壁と濠に囲まれた城塞都市で、塔が28基建っていたそうですが、現在では城壁の殆どが取り壊され、城塞都市としての面影はほとんどありません。
城塞都市としてのリガを偲ぶものといえば、街の北西部に建つリーガ城(現大統領官邸)と街の北東部のトァルニャ通りに沿って建つ城壁(外側に濠も)の一部、そして、その両端に建つスウェーデン門と火薬塔だけです。
しかし、現在もリガは「バルト海の真珠」とも讃えられる美しい港町で、その旧市街は世界遺産に登録され、13世紀に建築が始まったリガ大聖堂、ゴシック様式の聖ペテロ教会、ローマカトリック教会の聖ヤコブ教会、白い石の宮殿と呼ばれる聖ゲオルギ教会、美しいユダヤ教の礼拝堂、三人兄弟と呼ばれる住宅など中世の建物が数多く残っています。
一方、新市街はユーゲンシュトール(アールヌーボー)建築物の宝庫としても有名で約300棟もの建築物が建ち並びます。また他にも、ドイツのツェペリン型飛行船の格納庫を移築して使われている中央市場等々見どころいっぱいです。
(2015/06/20訪れて)
ギャラリー
リガ旧市街絵図(現地案内板より) ~画面をクリックにて拡大~
スウェーデン門(内側)
スウェーデン門はリガに唯一残るかつての城門で、1698年に城壁を利用して住宅が建てられた際に付け加えられたもので、当時向かい側(写真の向こう側)のヤコブ兵舎に住んでいたスウェーデン人がよく利用したのでこの名前が付けられました。
スウェーデン門(外側)
スウェーデン門はトォァルニャ通り(写真手前側)とトロクシュニャ通りをくぐり道でつないでいます。尚、かつては25基の城門があり、日没とともに閉められ、夜明けとともに開けられたそうです。
城壁とラメーラ塔
リガは、13世紀から18世紀頃までは城壁と濠に囲まれた城塞都市で、1330年頃には塔が28基建っていたそうですが、町の防衛の重要性が失われていくと、城壁の殆どが取り壊されて新築の建物に利用されていきました。今では、旧市街北西部のトォァルニャ通り沿いに修復された城壁の一部が残り、ラメーラ塔が復元されています。
濠
城壁の外側、トォァルニャ通り沿いには狭いながら濠が設けられています。
トォァルニャ通り(城壁とヤコブ兵舎)
城壁の前には大砲が置かれていました。
火薬塔
28基の塔の中でも、火薬塔(当初の名は「砂の塔」)は町への主要玄関を守る塔として重要なものでした。この塔は、1621年にスウェーデン王国のグスタフ・アドルフ2世が攻撃してきた際に破壊されましたが、17世紀に復元されました。現在、この塔は戦争博物館の建物と連結しています。
【リガ旧市街の見どころ】
リガは「バルト海の真珠」とも讃えられる美しい港町で、その旧市街は世界遺産に登録され、13世紀に建築が始まったリガ大聖堂、ゴシック様式の聖ペテロ教会、ローマカトリック教会の聖ヤコブ教会、白い石の宮殿と呼ばれる聖ゲオルギ教会、美しいユダヤ教の礼拝堂、三人兄弟と呼ばれる住宅など中世の建物が数多く残っています。
リガ大聖堂
リガ大聖堂はラトビア大司教の大聖堂であり教会です。歴史的には1561年のリボニア修道会崩壊まで、修道会の中心的役割を果たしてきました。また、中世においては、ラトビアを含む全バルト地域で、最古の、また最大の聖礼教会の一つでした。
聖ヤコブ教会
聖ヤコブ教会は、1225年に最初の記録に登場する古い教会です。15世紀に建て直され、塔は80mの高さがります。塔の中ほどの突起物には「哀れな罪人の鐘」と呼ばれる鐘がつるされていますが、市庁舎広場で罪人の処罰が行われる際には、この鐘がそれを知らせる役を担っていたそうです。
また言い伝えによると、かつてこの鐘は傍らを不貞な婦人が通ると自然に鳴り出しました。それゆえ女性達に嫌われ、夫らに圧力をかけて鐘を外してしまったそうです。そして、2001年のリガ800年祭を機に再び取り付けられたそうです。
聖ペテロ教会
聖ペテロ教会は1209年に最初の教会が建てられ、18世紀にはほぼ現在の姿に改築されました。リガ旧市街で一番高い建物で、その塔は第2次世界大戦後に改修されたもので高さは123.5mあります。
三人兄弟
マザーピルス通りに、兄弟のように3棟並んで建っている中世の住宅で、外観は建てられた当時の姿をほぼ保っています。それぞれ別の時代に建てられたもので、それぞれその時代の特徴を備えています。建築様式の古い順に右から15世紀に建てられた17番地の「長兄」、19番地の「次兄」、21番地の「末っ子」と並んでいる。17番地の「長兄」はリーガに現存する最も古い民家で、パン屋としての記録も残っています。この時代には、まだリガの土地問題はそれほど深刻ではなかったようで、石のベンチで玄関を飾る余裕が見られます。しかし、弟たちの時代になるとそうはいかず、「末っ子」などはかなり窮屈な思いをしています。その代わり、窓税がなくなったため「長兄」に比べて窓の大きい見栄えのする造りになっています。現在19番地の中央の建物が建築博物館となっており、中世の住宅の構造がよくわかります。
ブラックヘッドの会館
ブラックヘッドとは中世に存在した独身ドイツ人男性のギルドのことで、この建物も14世紀頃リガに暮らしていたギルドメンバーの為に建設されました。皮肉にも1941年にドイツ軍の爆撃により倒壊しましたが、その後1995年から1999年にかけて再建設されました。
かつてはコンサートホールとして使用され、豪華な内装が見学できましたが、現在はラトビア大統領官邸として使用されており、一般人が立ち入ることは出来ません。
【リガ新市街の見どころ】
新市街はユーゲンシュトール(アールヌーボー)建築物の宝庫としても有名で約300棟もの建築物が建ち並びます。また他にも、ドイツのツェペリン型飛行船の格納庫を移築して使われている中央市場等々見どころいっぱいです。
ユーゲンシュトール(アールヌーボー)建築群
ユーゲンシュトール(アールヌーボー)は、19世紀後半にヨーロッパ各地を席捲した新芸術様式で、特に建築分野に強い影響を及ぼしました。その特徴は、過度に装飾的なデザインで、曲線や植物紋様を多用し、デフォルメされた人体像なども使われました。リガの大建築ブームとも重なり、1900年頃から10数年間という短期間で膨大な数の多様な建物を残し、市内中心部の建築の約4割が、このユーゲンシュトール(アールヌーボー)様式で建てられているそうです。
中央市場
中央市場の建物は、ドイツのツェペリン型飛行船の格納庫を移築したものです。リガの台所を支える巨大な市場で、屋外屋内を含め広大な敷地面積で、品物の種類も多くて廻って見るだけでも楽しいです。