リガ城南面から東面にかけて
リヴォニア騎士団がリガ市民に造らせた城
ラトビア語名
Rīgas pils
日本語では「リガ」と表記する場合が多いが、ラトビア語では「リーガ(riːɡa)」という。
所在地
ラトビア共和国リガ市
訪城日
2015/06/20
歴史等
1297年から1330年にかけてリヴォニア騎士団とリガ市民との間に衝突があり、敗北した市民側は破壊された最初の城(現在の工芸博物館辺り)の代償にこの城を建てさせられました。騎士団長は1470年まで当城に住み、その後ヴィリヤンディ(南部エストニア)、ツェースイスに居を構えました。
この頃のリガ城は軍事的な目的が強かったので、石の厚い壁で覆われたシンプルなもので、周囲は堀で囲まれ、城壁で囲まれた市街からも分離されていました。
その後、15世紀に破壊されましたが、1515年に新たに城が築かれました。
リヴォニア戦争(1558~83)後はポーランド、スウェーデン、そして帝政ロシアとそれぞれの支配者が住むところとなり、最初のラトヴィア大統領の官邸にもなりました。
18世紀から19世紀にかけて大改修が進められ、現在は宮殿のような姿になっています。
城の北側部分はラトヴィア歴史博物館と海外美術館に使われ、他の部分は大統領の官邸として使われていましたが、2013年に火災に遭い、現在(2015/06)は修復作業中で、大統領官邸とラトビア博物館は移転しています。
『「現地購入誌・リーガ」、「地球の歩き方・バルトの国々」より』
現況・登城記・感想等
リガ城は、リガ旧市街北西部、ダウガヴァ川沿いに建てられています。
大統領官邸とラトビア博物館として使われていたとのことですが、火災に遭い修復作業中のため、外観を眺めることしかできませんでした。
その外観も、北西隅済と南西隅に立派な塔が建っているだけで、あまり見栄えはよくないというか、私の好みではありません( ̄ー ̄;。
(2015/06/20訪れて)
ギャラリー
リガ旧市街絵図(現地案内板より) ~画面をクリックにて拡大~
リガ城西面(ダウダヴァ川側から撮影)
バスの窓から撮った写真です。
リガ城西面の城壁
リガ城の西側にはダウガヴァ川が流れています。川に沿って走る「11月通り(11.NOBEMBRA)」に沿って城壁が設けられています。但し、この城壁がいつ頃のものかは分かりませんが・・・( ̄ー ̄;。
リガ城南面から東面にかけて
リガ城は、北西と南東隅に立派な塔を持っています。写真の塔は南東隅の塔です。塔の南面下(写真左)の壁面と写真左奥の城壁に”Daugavas gate”と書かれたプレートがありました。往時は、ここにダウガヴァ川側からの城門があったのかとも思い調べたのですが分かりません(/。ヽ)。城の南側の通りの名前なのかもしれません。
Daugavas gate
写真は、ダウガヴァ川沿いの「11月通り(11.NBEMBRA)」から城の南側の通りを撮ったものです。