トーメの丘(タルトゥ市)

要塞があったトーメの丘の城塁とその前に陳列されている大砲

11世紀にバルト地方に進出したキエフ大公ヤロスラフ1世が築いた城

エストニア語名

Toomemägi

所在地

エストニア、タルトゥ県タルトゥ市

歴史等

タルトゥは、1030年にバルト地方へ進出したキエフ大公・ヤロスラフ1世が城砦を築き、13世紀にはリヴォニア帯剣騎士団の支配下におかれた。
1262年、ドミトリー・アレクサンドロヴィチの軍がドイツ騎士団を打ち破り、タルトゥを征服した。
1280年代にはハンザ同盟に加盟し、ドイツ人中心の都市となった。リヴォニア戦争でリトアニア大公国、その後はポーランド・リトアニア共和国領となった。
そして、1621年より始まったスウェーデン・ポーランド戦争の結果、スウェーデン王国領となり、1632年にスウェーデン王グスタフ・アドルフによってタルトゥ大学が設置され、その後文教都市として栄えてきました。
『地球の歩き方・バルトの国々ほか参照』

現況・登城記・感想等

タルトゥはエマユギ川の西側に位置し、街の背後(西側から北側にかけて)には侵略者を防ぐ要塞であった「トーメの丘」があります。
トーメの丘を二分するロッスィ通り沿いに城壁(城塁)が確認でき、その前に2基の大砲が陳列されていますが、それが城砦としての名残りでしょうか。
また、街の北東にも城壁が残っているようですが、残念ながらパック旅行のため、時間がなくて見ることができませんでした。
(2015/06/19訪れて)

訪城日

2015/06/19

ギャラリー

要塞があったトーメの丘の城塁とその前に陳列されている大砲
IMG_6255

トーメの丘から城壁を見下ろす
IMG_6265

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント