トロギール

旧市街の南西に残るカメルレンゴの砦

アドリア海に面した、クロアチア本土とチオヴォ島の間の小島にある城塞都市

クロアチア語名

Trogir

所在地

クロアチア・スプリット=ダルマチア郡トロギール

形状

城塞都市

歴史等

トロギールは、紀元前3~4世紀頃、ヴィス島からやってきた古代ギリシャ人植民者により造られ、「トラグリオン」と名付けられた。その後、大きな港として発展し、ローマ帝国の支配下になってからも港は繁栄が続いた。
その後、サロナ(スプリット近郊にあった植民都市)の急な繁栄によって、トロギールの重要性は低下したが、スラヴ人の移住が始まると、破壊されたサロナの市民はトロギールへ避難してきた。
9世紀から、トロギールはクロアチア王国の支配下に入った。トロギルの司教区は11世紀に創立され(1828年廃止)、1107年にはハンガリー及びクロアチア王カールマーン1世によって特権を与えられ、町として自治権を持っていた。
しかし、1123年、サラセン人によって町は征服され、ほぼ完全に破壊された。
やがてサラセン人が去ると、短期間で町は再生し、12世紀~13世紀には経済繁栄を見せた。
その間、1242年にハンガリー王ベーラ4世はモンゴル帝国の侵入から逃れトロギールへ避難したという。
1420年からはヴェネツィア共和国の支配が始まった。
1797年にヴェネツィアが崩壊すると、1918年までハプスブルク家に支配された。但し、ナポレオン戦争中の1806年から1814年の間だけは、フランス軍に占領されていた。
第一次世界大戦後、トロギールはクロアチアとともに、スロヴェニア人・クロアチア人・セルビア人国の一部となり、その後ユーゴスラビア王国の一部となった。
第二次世界大戦中はイタリアに占領され、戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国に属した。
そして、1991年には独立したクロアチアの一部となった。
1997年トロギールはユネスコ世界遺産の文化遺産に登録された。
『「ウィキペディア・トロギル」、「サイト・Trogir History」他より』

現況・登城記・感想等

トロギールは、クロアチア本土とチョウヴォ島の間の小さな島にあり、町の周囲を城壁が囲む城塞都市である。
聖ロヴロ大聖堂やガラグニン宮殿(現博物館)、時計台が建ち、そして、迷路のような細い路地が多い旧市街は、中世の面影が色濃く残り、規模も小さいので、ゆっくりと楽しく散策できる。
島の南西部にはカメルレンゴの砦、北西部には聖マルコの塔が残り、この町が外敵から守るための城塞都市であったのが分かる。残念ながら、朝早かったためか、砦に入れなかったのが残念だった。
(2013/4/20訪れて)

ギャラリー

トロギール
トロギールは、クロアチア本土(北側)とチョウヴォ島(南側)の間の小さな島にあり、町の周囲を城壁で囲まれた城塞都市であった。現在、島は本土とチオヴォ島とは橋で結ばれている。
トロギール地図

島の北側の運河に架かる橋
写真の橋は、島の北側の運河に架かる橋で、この橋を渡ると、旧市街へ入る北門へ出る。勿論、往時は防衛上からも橋など架かっていなかったことでしょう。運河には、多くのボートやヨットが繋がれ、今では、高級保養地及び観光地のようだ。
11運河の橋

北門(正門)
現存するトロギールの城壁は、15世紀頃に造られたもので、この北門は17世紀頃に造られたという。小さな門で、敵が一挙に入ることができないようになっている。門の上には、守護聖人イヴァン・オルスィーニの像が立っている。
11北門

ガラグニン宮殿(現トロギール博物館)
北門をくぐり、入城すると、正面にトロギール博物館がある。ガラグニン宮殿を利用したもので、先史時代から近代までのトロギールに関する展示品が集められている。
12博物館

イヴァナ・パブラ2世広場
博物館の脇からは、細い路地に・・・。この町のほとんどが迷路のような路地ばかりで、メインストリートと呼べる様な大きな道は1つもない。これも敵が侵入した時の防御を考えてのことであろう。
路地を歩いて行くと小さな広場(イヴァナ・パブロ2世広場)へ出る。 「イヴァナ・パブラ」というのは、クロアチア語で「
ヨハネ・パウロ」のことで、先々代のローマ法王ヨハネ・パウロ2世の名前をとって命名した広場だそうだ。ここが観光の中心地で、時計塔、市庁舎、聖ロヴロ大聖堂などがひしめいている。
イヴァナ・パブラ2世広場

時計台横の舞台で
時計台横の舞台?の壁には浮彫が・・・。我々団体客が、それについてガイドさんから説明をうけていると、4人のコーラスグループがやってきてアカペラで歌い出した。実に美しいハーモニーでした。DVDを買ってほしいようでしたが、時間が無くて買えませんでした。
IMG_0638

市庁舎
市庁舎

聖ロヴロ大聖堂
聖ロヴロ大聖堂は、トロギールを代表する建築物で、建設が開始されたのは13世紀初頭であるが、完成したのは17世紀になってからのことである。
聖ロヴロ大聖堂

南門(海の門)
イヴァナ・パブラ2世広場から南に進むと南門へ出る。
04南門

チヴォ橋
南門(海の門)の南側には、チョウヴォ島からの橋が架けられている。勿論、敵の侵入に対する防御を考えれば、、この橋も、往時は架かっていなかったことでしょう。
01チヴォ橋

チヴォ橋からベリスラヴィッツァ海岸(Obala bana Berislavića)を眺める
チヴォ橋の上からトロギールの南西部分を眺めたものです。左奥に「カメルレンゴの砦」、中央やや右に「南門(海の門)」と「聖ニコラス教会」が見える。
02海岸通り1

ズームアップ
アドリア海に横たわる船と「カメルレンゴの砦」、そして「ドミニク教会(写真右)」、さらには「ベリスラヴィッツァ海岸通り(Obala bana Berislavića)の椰子(棕櫚?)の並木」の光景がいいですね(*^_^*)。
02海岸通り2

ベリスラヴィッツァ海岸通り(Obala bana Berislavića)
南門(海の門)の前のベリスラヴィッツァ海岸通りを、「カメルレンゴの砦」を目指して西へと向かいます。真っ青な空と紺碧の海に浮かぶ船、そして椰子(棕櫚?)の木々の光景が、如何にもアドリア海岸らしくていいですね(*^_^*)。
05スィラビッツァ海岸通り

カメルレンゴの砦①
南門の前から、300mほども歩いて行くとカメルレンゴの砦へと出ます。何とも無骨な姿が気に入りました(*^_^*)。
06カメルレンゴ砦1

カメルレンゴの砦②
上って行けるところがないか北側へ廻りましたが・・・? 砦のすぐ傍に児童公園というのも珍しいですね。
06カメルレンゴ砦2

カメルレンゴの砦③
海側へ廻ると、さらにゴツイ姿に・・・。まさに要害堅固の砦です。
06カメルレンゴ砦3

聖マルコの塔①
カメルレンゴの砦の北側はサッカー場になっており、多くの子供たちがサッカーに興じている。クロアチアがサッカーが盛んなのが分かりますね。サッカー場の向こうには、聖マルコの塔が見える。
07聖マルコ砦1

聖マルコの塔②
聖マルコの塔は、見張り台としては、かなりの規模で、カメルレンコの砦と共に、砦としての機能も持っていたのでしょうか。
07聖マルコ砦3

聖マルコの塔からサッカー場越えにカメルレンゴの砦を
07聖マルコ砦からカメルレンゴ砦を

【路地裏散策】
トロギール旧市街は、建物がひしめき合っており、広場を除くと、どこも薄暗く、道は非常に狭くて、人がすれ違うのがやっとです。
中世ヨーロッパの他の町と同様、道の真ん中が雨水などの排水路になっている。そして、石畳の石の見事なツヤが、長い歴史を感じさせる。
また、日本の城下町と同様、真っ直ぐな道がほとんどなく、曲がりくねっており、迷路のようです。こういった道を、歩き回るのも楽しいものです。
路地裏1 路地裏2

路地裏3 石畳

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