コトル

コトル旧市街の北側の城壁と城塞、背後の岩山にも城壁が

中世、様々な国に支配されながらも自治を守って繁栄してきた城塞都市

モンテネグロ語名

Kotor

所在地

モンテネグロ・コトル市

形状

城塞都市

歴史等

コトルが最初に記録に現れたのは古代ローマ期の紀元前168年で、その頃はアスクリヴィウム(Ascrivium)の名称で知られたダルマチア属州の一部であった。
中世初期以来、コトル(当時はカッターロ・Cattaro)は都市は要塞化され、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世の時代に東ゴート族を撃退した後、535年にアスクリヴィウムの上に要塞都市が建設された。
しかし、840年、サラセン人の略奪にあった。
10世紀に入り、コンスタンティヌス7世の頃に、第2都市が大きく成長し、最も有力なダルマチアの都市国家の一つであった。
1002年、第一次ブルガリア帝国の占領の下でダメージを受け、続いてサムイルによりセルビアに割譲されたが、地元民はこの協定にラグーサ共和国との同盟により抵抗した。
中世はセルビア王の保護政策の元で、コトルの町は自治権を持った、半ば独立した共和国となり、14世紀には商業で近隣のラグーサ共和国やヴェネツィア共和国と競っていた。
しかし、1420年にはヴェネツィアの支配下となり、アドリア海の前線基地が置かれた。コトル湾に面した町は、周囲をすべて岩山に囲まれており、こうした地形に堅く守られているため、トルコ軍や海賊などを撃退して、コトルは長い間栄える事ができた。
1420年から1797年(1538~71年と1657~99年のオスマン帝国支配期を除く)までの4世紀近くにわたるヴェネツィアの支配された。
1797年、ハプスブルク君主国の支配下、1805年にフランス第一帝政に隷属するナポレオン1世のイタリア王国、1810年にフランス帝国イリュリア州に組み込まれたが、1814年にオーストリア帝国に返還と、様々な国に支配された。
そして、第一次世界大戦後の1918年、ユーゴスラビアの一部となったが、第二次世界大戦時の1941年から1943年にかけてはイタリアに併合された。
そして、第二次世界大戦後の1945年、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国内のモンテネグロ社会主義共和国となったが、2006年6月3日、モンテネグロの独立宣言となり現在に至る。
コトルは、4世紀近にわたるヴェネツィアによる支配下にあり、その結果、ヴェネツィア様式を特徴付ける建物が残る。1979年の大地震で被害を受けたが、ユネスコ等の支援で復旧し、同年、ユネスコ世界遺産の文化遺産として登録され、2003年には指定範囲が拡張された。
ウィキペディア・コトル他より』

現況・登城記・感想等

コトルは、アドリア海東岸のコトル湾の最も奥に位置する港湾都市である。複雑に入り組んだ湾を形成しているコトル湾は、時にヨーロッパ最南部のフィヨルドと呼ばれることもあるという。
コトル旧市街は、西へ突き出た三角形の形をしており、その北側をシュクルダ川、南側をコトル湾、東側背後は絶壁の山で守られた天然の要害地にある。
そして、北側と南側には城壁を築き、さらに背後の絶壁の山にも全長4.5kmにもおよぶ城壁が築かれるなど、堅固な城塞都市であった。
狭い石畳の路地が縦横に走る旧市街は、中世の町並みが色濃く残り、貿易によりもたらされた富で築かれた豪華な館や多くの教会が建ち並ぶ。
また、背後の山の城壁へも登ることができ、コトルの町やコトル湾などの素晴らしい景色を見渡せる。
(2013/4/21訪れて)

ギャラリー

コトル旧市街と背後の山の城壁の図(現地パンフレットより)
00コトル地図2

旧市街北側の城壁
コトル旧市街の北側は、シュクルダ川が流れ、水堀の役目をしている。そして、川に沿って頑丈そうな城壁が築かれ、その両端には城塞が築かれ、万全の防御となっている。
城塞と城壁

旧市街西端の城壁上から背後の山に縦横無尽に築かれた城壁と城塞を見上げる
コトル旧市街の背後に聳える絶壁の山は、まさに国名の由来モンテネグロ(黒い山)である。その山には城壁が縦横無尽に城壁がかけめぐり、山頂部にはかなり規模の大きい城塞、山腹には聖母教会が建てられている。
フランスの劇場前から城壁を

正門(海の門)
旧市街へ入城する西側の門で、コトル港から最も近い城壁の部分をアーチ型に開けられている。アーチの上部にはユーゴスラビア独立の1994年11月21日と星型の紋章が刻まれ、その上にはユーゴスラビア社会主義連邦共和国の国章のレリーフが掲げられている。さらに、その上にはユネスコ・モンテネグロ・コトル市の3つの旗が掲げられていた。
海の門

町の時計塔
海の門をくぐり「武器の広場」へ出ると、正面に「町の時計塔(1602年)」が現れる。塔の下には四角錐のパーツが置かれているが、地震で落下したのだそうだ。
時計塔

武器の広場
武器の広場の東方面には、まるで頭上へのしかかって迫ってくるような絶壁の岩山が見え、縦横無尽にめぐらされた城壁や城塞がよく見える。迫力満点です。
武器の広場

聖トリファン広場
武器の広場から、南東へと細い路地を歩いて行くと、聖トリファン広場へ出る。聖トリファン広場はコトルの中心をなすのでしょう。広場の
周囲には、歴史博物館、ドラゴ宮殿、司教館、聖トリファン大聖堂、市庁舎が建ち並んでいる。
聖トリファン広場

聖トリファン大聖堂
コトルは、ローマ・カトリック文化圏と東方正教文化圏の境界にあり、町には両方の教会が建っている。聖トリファン大聖堂は、ローマ・カトリックに属するし、塔以外の部分は1160年の創建当時の姿をとどめているが、内部は1667年と1979年の地震の後に改修された。
聖トリファン大聖堂

ドラゴ宮殿
ドラゴ宮殿はコトル市を代表する貴族ドラゴ家の館で、現在残る建物は1166年の地震の後に建てられたものであるが、1667年の地震によって鐘楼などが破壊され、当時の面影が失われたそうです。
ドラゴ宮殿

聖ルカ広場と聖ルカ教会
ドラゴ宮殿脇の細い路地を通り、西へ向かうと聖ルカ広場へ出る。広場に突き出るように、小さな教会があるが、それが聖ルカ教会である。聖ルカ教会は、1195年に建てられたセルビア正教会の建物で、内部には多くのイコンが飾ってある。
聖ルカ教会

聖ニコラス教会
聖ルカ広場の奥の方には聖ニコラス教会が建っている。聖ニコラス教会の建設は1902年に始まり、1909年に完成した。もともと、1540年に建てられたドミニカ会修道院があった場所で、1896年に大火があり、修道院も教会も崩壊したが、1902年から修復が始まったそうです。
聖ニコラ教会

路地・路地・路地・・・・
コトル旧市街も、他のヨーロッパの都市の旧市街と同様、町の中を非常に細い石畳の路地が網の目のように張り巡らされている。非常に小さい町なので、完全に迷うことはないが、突き当りに入ってしまうこともしばしばで、この後に登ろうとした城壁への入口を捜すのには苦労しました(;´▽`A``。
また、路地裏には古井戸が残っていたりして、観光客が興味深げに中を覗いていました。

路地1 路地2

路地5 古井戸

【城壁へ】
コトルへ入ると、まず最初に町の背後の急峻な山が目に入ります。まさに断崖絶壁で、まるで頭上へのしかかって迫ってくるような迫力です。
この岩山を見れば、山の上から街中へ攻め込むのは不可能なのではと思えるほどですが、それでも山腹に城壁が縦横無尽に張り巡らされています。この城壁は全長約4.5kmもあり、最も高い所は20m近くもあるということです。また、所々には見張台や城塞が築かれ、まるで万里の長城のようです。
城壁頂部に見える城塞は、比高150mといったところでしょうか。45分あれば、大急ぎで登って戻って来れると思ったが、コトルでの自由時間は僅か30分弱しか与えられませんでした(/。ヽ)。おまけに、解散場所は、城壁から最も遠い旧市街の西端です(/。ヽ)。それでも、登れるところまで行こうということで登城開始しました(*^_^*)。
(コトル旧市街の背後に聳える岩山に張り巡らされた城壁を望む)
コトル旧市街背後の山の城壁

(登城)
登城口
解散場所の旧市街西端から、城壁への登城口を捜して、細い路地をウロウロしながらやっと旧市街北東部にある登城口に辿り着きました。解散してから、ここまで7~8分かかってしまいました( ̄ー ̄;。残り許された時間は、20分しかありません。つまり、10分強登った時点で引き返すしかないです(/。ヽ)。
登城口1

登城口門番
登城口には、特に改札所(チケット売り場)があるわけでもなく、若い男が暇そうにしていました(苦笑)。ここで、値段を忘れましたが、いくらか払って登城します。この写真は、入城後、振り返って登城道から撮ったものです。
登城口2

登城道
登城道は、石畳道と石段があります。登城道には、所々に門があります。
登城1

狭間
町側の城壁には、狭間でしょうか窓のような四角い穴が設けてあります。
登城2

聖ロコ防衛陣地
登り始めて4~5分ほどすると、ちょっとした建物跡へ出ます。現地で手に入れたパンフレットを見ると、「聖ロコ防衛陣地」となっています。勿論、見張り台も兼ねていたことでしょう。そこから上を見上げると、頂部に城塞(写真中央上)が、中腹には聖母教会(写真右上)が見えます。
登城3

聖ロコ防衛陣地から見下ろす北西方面の眺望
眼下にはコトル市街、その向こうにはコトル湾と湾に複雑に食い込む半島(山並み)の景色が素晴らしいです。
登城3眺望

聖ロコ防衛陣地からコトル旧市街を見下ろす
勿論、真下にはコトル旧市街を見下ろすことができ、その向こうの港には大きな船が停泊していました。まだ、この辺りでは、旧市街が三角形状なのは分かり辛いです。
登城3眺望2

さらに登る
さらに、九十九折れの坂道をひたすら登って行きます。何人かの外人さん?(こちらが外人さんかも)に出逢いましたが、日本人には全く出逢わず、一緒に登ったS木さんだけです。
登城4

武器庫??
登り始めて8分ほどすると、山側に頑丈に造られた穴蔵のようなのが・・・。武器庫でしょうか?
登城6

2つ目の防衛陣地(展望台)
武器庫の前は、平坦地になっています。ここも防衛陣地跡ですが、パンフレットには名前が記載されていません。勿論、見張り台の役目もしていたでしょう。
登城6-2

2つ目の防衛陣地からの眺望
勿論、この2つ目の防衛陣地から見下ろす景色も素晴らしいです。この辺りまで登ると、旧市街の形が三角形なのが分かります。
登城6眺望1

見上げる
山側を見上げると、まだまだ九十九折れの城壁がありますが、聖母教会が、かなり近くなりました。ただ、残された時間は2~3分しかありません。
登城6-1

さらに登る
登城7

城壁分岐点
登り始めて11~12分ほどすると、城壁は2つに分かれますが、左へ向かう城壁は進入禁止になっています。この分岐点にも塔が建っていたようで、勿論、見張り台としての役割も果たしていたことでしょう。あと、2~3分ほども登れば聖母教会まで登れそうですが時間がありません。ここから、コトル旧市街の写真を撮ってから、泣く泣く下山しました(/。ヽ)。
登城8

コトル旧市街を見下ろす
三角形のコトル旧市街全体がよく見渡せますが、まさに絶景です(*^_^*)。あとは、ひたすら急いで下山です。
眺望

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