松前城(松前町)

昭和24年に焼亡したため、昭和37年に復元された天守閣

最後に築かれた和式城郭も幕末・維新の戦乱に巻き込まれて落城

別名

福山城

所在地

北海道松前郡松前町松城

形状

平山城

現状・遺構等

現状:公園(国指定史跡)
遺構等:復元天守、本丸表御門(銅瓦葺櫓門)、石垣、土塁、堀、石碑、説明板

【国指定史跡】
指定日:昭和10年6月7日
指定理由:近世に築城された平山城で、北海道唯一の大名城郭であり、蝦夷地の中心として威容を誇った旧時の規模を窺がうことができる。
面積:7万2,674㎡

満足度

★★★☆☆

歴史等

蝦夷地に和人が定住し始めたのは、11世紀頃と言われているが、平泉の藤原氏が滅亡すると、多くの藤原氏残党が落ちのびてきた。
また南北朝時代になると、戦に敗れた者達が続々と渡ってくるようになり、アイヌと和人の間で抗争事件が多発した。 そしてアイヌとの戦いに勝利を収め、和人の棟梁となったのが武田信広(後の、蠣崎信広)である。
その5代目にあたる蠣崎慶広は、文禄2年(1593)豊臣秀吉より蝦夷島主と認める朱印状を受け大名と認められた。秀吉没後の慶長4年 (1599)には家康よりアイヌ交易独占を許す黒印状を受け松前氏を名乗った。そして慶長5年(1600)、 大館の居館の南方に新たに福山館の築城をし、慶長11年(1606)に完成させ松前城の前身となった。
江戸末期(1807~1821)、ロシア南下に備え蝦夷全島は幕府直轄となったが復領が認められた。嘉永2年(1849) 海防強化のため幕府は、松前崇広を城主格に任じ、新城の築城を命じた。翌年着工、安政元年(1854)に完成した。 日本式築城の最後の城となった。
明治元年(1868)、榎本軍に攻められ落城。
昭和24年には天守が焼亡、現在の天守閣は昭和37年に再建されたものである。
『参考資料:日本の名城・古城もの知り辞典(主婦と生活社刊)』

訪城日

1999/04/30

感想等

復元天守は非常に小さく、石垣もそれほど高いものではないが、切り込みハギの亀甲積みで非常にきれいな石垣である。
桜の本数がかなり多く見ごたえがありそうであるが、残念ながら大型連休前半でもあり、まだ満開とはいかなかった。
(1999/04/30に訪城してみて)

ギャラリー

松前町から見える松前城

天守閣と本丸表御門(左手前)
matsumae1

松前城の桜(まだ満開ではなかったが、かなり咲いている木もあった)

臥龍梅
松前神社内(祭神 武田信廣)にあり、徳川3代将軍家光より松前家7世公広が拝領した白梅

松前城テーマパーク

松前城テーマパーク

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コメント

ベティ(2007/03/02)

楚々としてかわいいお城ですね。机に飾りたい感じです。
松前の近くに江差という町があります。お城ではありませんがニシン御殿のような旧商家がありますね。

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