志満川食堂の横に設置された標柱と説明板(左端)
北蝦夷地の冬期の極寒を避けて越年勤番陣屋を増毛に築造
所在地
北海道増毛郡増毛町稲葉町1丁目1(志満川食堂の横)
形状
陣屋
現状・遺構等
【現状】 食事処ほか
【遺構等】 標柱、説明板
満足度
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訪城日
2005/07/30
歴史等
文化4年(1807)時の幕府は、仙台・会津・南部・秋田・庄内の各藩に蝦夷地警備と出兵を命じている。津軽藩は宗谷・斜里・樺太の守備を命じられ同年より交替出兵となった。
しかし北蝦夷地及び宗谷の気象条件が厳しく、特に冬期間の寒気により相当数の死者を出している。このため津軽藩は幕府に対し願い出た結果、文化6年(1823)以降宗谷の越年を増毛に変更し勤番陣屋を築造。この地にあった「津軽藩越年陣屋」は増毛に建てられた最初の陣屋であろう。(後に安政3年秋田藩元陣屋が建てられている。)
『陣屋跡案内板より』
現況・登城記・感想等
すぐ近くの鮨屋「まつくら」にはよく来ていたが、この説明板に今回まで気が付かなかった。
増毛勤番越年陣屋は、今では町中に埋もれ、陣屋跡に縄張図の付いた説明板と標柱が立っているだけである。
しかし、司馬遼太郎の「菜の花の沖」等で「蝦夷地での越年により死者が多く出た。」ということを読み、実際に現地で説明板を目の当たりにすると「臨場感?」があり、「迫力?」を感じ、当時の情景が浮かんでくるような気がする。
(2005/07/30訪れて)
ギャラリー
増毛勤番越年陣屋標柱と説明板
陣屋見取図(説明板より)
まつくら(増毛)のうに丼。実に美味い
札幌から増毛へ行く時に、こんな看板見つけました。あなたなら、どちらを選びますか?当然、増毛ですよね!私も迷わず真っ直ぐ進みました(笑)。