六郷城本丸跡に鎮座する田岡神社
「鬼義重」とも称された佐竹義重が最後に居住した城
所在地
秋田県仙北郡美郷町(旧六郷町)六郷古館
【アクセス】
国道13号「側清水」信号を北へ入り、200m北上して左折した交差点(信号有)。150m程西進した右手に田岡神社があります。神社が本丸跡です。車は、神社の道路を挟んで反対側の空地に停めさせてもらいました。
形状
平城
現状・遺構等
【現状】 田岡神社、田園
【遺構等】 堀?、標柱、石碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2015/10/26
歴史等
六郷城は、永禄2年(1559)、六郷道行が築いたと伝えられ、その後、その子政乗が居城した。
政乗は関ヶ原合戦の功により、慶長7年(1602)常陸府中へ移封となった。
同じく、慶長7年、佐竹義宣が秋田移封となり、それに先立って家臣川合伊勢、矢田野安房守らが当城を受け取るが、この近辺はまだ人心が落ち着かなかったため、義宣の父義重が人心収攬を図って居城とした。
同8年(1602)には、小野寺家の浪人ら千人余りが当城を攻めたが、町民や農民が一向宗の法師らとともに奮戦してこれを退けた。
義重は、かつては伊達氏や後北条氏も恐れ「鬼義重」とも呼ばれた戦国大名であったが、仁政を布き、晩年は広く領民を慈しみ善政を布いたという。
そして、当城に居城すること11年間、慶長17年(1612)4月19日に66歳で没した。
『「現地説明板(2ヶ所)」参照』
現況・登城記・感想等
六郷城跡の大半は田園地帯となり、往時の面影はなく、本丸跡に田岡神社が鎮座し、その境内に「通庵佐竹公館趾碑」、「通庵公卒後400年碑」の石碑とその脇に六郷城と通庵公に関する説明板が立てられているだけです。
ただ、神社脇に堀跡のような地形が確認できますが、果たして・・・?
往時の城域は随分広かったようで、神社前を走る広域農道を西へ100mほど行った道端にも城址碑が立っていました。
尚、説明板は、神社と道路を挟んだ反対側にも立っています。
(2015/10/26訪れて)
ギャラリー
六郷城絵図(現地説明板より)
六郷城は町を望む東側を正面とし、北に稲荷神社、熱田神宮を祀り、西中央に本丸、東南に二の丸を配し、外堀、内堀をもち、背側面は水田で防護された堅固で典型的な戦国平城で規模も広かった。(現地説明板参照)
ただ、この絵では、縄張りなどはほとんど分かりませんが、東側に家々が並び、その他は水田に囲まれていたのは分かりますね。尤も、現在も周囲は田んぼしかありませんがね。
石碑と説明板
田岡神社境内には「通庵佐竹公館趾碑」(左)、「通庵公卒後400年碑」の石碑とその脇に六郷城と通庵公に関する説明板が立っています。
堀跡?
神社の東から北にかけて堀跡のような地形が確認できますが、果たして・・・?
田んぼ脇の城址碑
「鬼義重」とも称されたほどの義重の城ですから当然でしょうが、往時の城域は随分広かったようで、神社前を走る広域農道を西へ100mほど行った道端にも城址碑が立っていました。周囲は見渡す限りの田園地帯ですが、往時もこのような風景だったのかもしれませんね?