霊山の山容
南朝方北畠顕家が、義良親王を奉じて立て籠もった砦
所在地
福島県伊達市霊山町石田(霊山こどもの村付近から登る)
形状
山城
満足度
?????
訪城日
2007/08/14
歴史等
859年慈覚大師が霊山寺を建立し、南奥羽の信仰の中心地としたという。
南北朝時代、南朝に応じた北畠顕家は、義良親王を奉じて霊山に立て籠もり、砦が築かれた。しかし、北畠顕家が西上して和泉国で討死にすると、
霊山は北朝方の兵火にかかって全て焼失した。
現況・登城記・感想等
今回は、当初から時間のこともあり登らないで山麓から仰ぎ見るだけの予定であった。岩肌を剥き出しにして、
見るからに天然の要害の地を誇っているようである。
鳥取県の船上山や京都府の笠置山城もそうであるが、
如何にも後醍醐天皇以下南朝方のお偉いさんの好きそうな「自分だけは安全な地に」といった嫌らしい根性が、見え見えのような山容である。
こんな皮肉な感想を持つのは私だけであろうか?
しかし、登城するには魅力のある山容である。2時間もあれば廻って来れるとのことである。今年の秋にでも登ろう。
(2007/08/14霊山こども村駐車場から仰ぎ見て)