二ノ郭跡と建物復元表示
武蔵七党の狛江氏の築城、後北条氏に攻め落とされる
所在地
東京都調布市深大寺元町2-21、22
【アクセス】
深大寺の南側3~400mほど
深大寺:調布市深大寺元町5丁目15−1、電話042-486-5511
形状
平山城(標高約50m、比高約15m)
現状・遺構等
【現状】神代植物園水生植物園・公園・テニスコート他
【遺構等】郭、土塁、空堀、建物跡復元表示、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2004/02/15
歴史等
戦国時代の関東は後北条氏と上杉氏が長きにわたり戦闘を繰り広げた。
大永4年(1524)に扇谷上杉朝興は、北条氏綱によって江戸城を奪われた。そんな中、深大寺城は、江戸城奪回を目指す扇谷上杉朝定が、その拠点として天文6年(1537)に古城を再興したものである。しかし、北条氏綱に本拠河越城を奪われたためその後使用されず、廃城になったと考えられている。
深大寺城は半島状の台地先端部にあり、三つの郭からなっていて、第一郭及び第二郭が残っている。
『現地説明板参照』
現況・登城記・感想等
深大寺城は、一の郭と二の郭及び三の郭から成る連郭式平山城である。
一の郭と二の郭は復元等々整備され、土塁や空堀などが比較的良好に遺構が残されているが、三の郭はテニスクラブ等になっており遺構は殆どみられない。
一の郭は森の中にあり、ほとんど手が付けられずに残っているようだ。
一方、二の郭は綺麗に整備されて城内建物の平面表示がされたりしているが、公園化のための破壊も多少あるようだ。
(2004/02/15登城後)
ギャラリー
縄張略図(現地説明板より)
深大寺城は西側を除いた三方を沼地とし、各郭の西側に空濠を三段に構えて、一の郭~二の郭~三の郭を配した連郭式城郭である。一の郭は東西50m・南北90mほどで、全周を土塁で囲み、北と南に平虎口を設け、北虎口は土橋を経て二郭に、南虎口は東の腰郭に通じると共に西の空濠からの侵入に備えている。
一の郭と二の郭の間の空堀
当空堀は一の郭の北側の空堀で、左側が一の郭で右側がニの郭である。左奥に見えるのは一の郭とニの郭を繋ぐ土橋である。
一の郭の北虎口
一の郭内側から撮った虎口で、虎口向こうは土橋が架かっている。土橋の向こう側はニノ郭。
一の郭の虎口脇の土塁下に立つ城址碑
この辺りの土塁はなかなか重厚です。写真左側が一の郭になる。
一の郭内
一の郭は鬱蒼とした森の中にあり、多くが手つかずに残っているが、一部休憩所として整備されたところもある。尚、周囲は土塁で囲まれている。
二の郭
二の郭は東西50m・南北120mほどで芝生広場として整備され、郭内にあった掘立柱建物のうち2棟の礎石が復元表示されている。また、周囲は土塁で囲まれているが西側土塁は復元されたもののようだ。