武蔵 熊谷氏館(熊谷市)

熊谷氏館跡とされる熊谷寺

熊谷直実の居館

所在地

埼玉県熊谷市仲町43熊谷寺(ゆうこくじ)、八木橋百貨店のすぐ傍
八木橋百貨店:仲町74、048-523-1111

形状

現状・遺構等

現状:熊谷寺ほか
遺構等:熊谷直実の墓と像、熊谷駅北口にも直実の銅像

満足度

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訪城日

2009/08/28

歴史等

熊谷氏は武蔵七党の一つ私市(きさい)党の私市直季が、平安時代に前九年の役(1051~1062) の軍功によって熊谷の地に領地を賜り、館を構え、熊谷氏を名乗ったことが始まりとされる。
直季の孫直孝には子がなく、平盛方の子直貞が熊谷氏の跡を継いだ。源平の争乱期に活躍した熊谷次郎直実は、直貞の三男として永治元年 (1141)に熊谷館で生まれたとされる。
時代は武士が歴史の表舞台に登場するときであり、武士の台頭を決定づける保元の乱(1156)に、直実も平清盛、源義朝などと、 後白河天皇派として初陣を飾ったが、平治元年(1159)の平治の乱で、直実は源義朝方として参戦し、敗戦の後に熊谷へ帰った。
治承4年(1180)、源頼朝が平家打倒の兵を挙げたが、直実は平家方として参戦した。 この時の石橋山の戦いに敗れて逃げる途中の頼朝を直実が助け、その功績により「ほやに鳩」の紋が頼朝より下されたという。
直実は、石橋山の戦いの直後、頼朝方につき、その後は源氏の有力な武将として数々の武功を挙げ、源頼朝をして「日本一の剛の者」 と言わしめた。
平家追討の際には源義経に従い各地を転戦しているが、一の谷の戦いで「※ 平敦盛を討ったときの逸話」は広く世に語り継がれている。
鎌倉幕府開府後、直実は、政治的な駆け引きの中で、次第に自分の居場所を失っていった。
所領争いの訴訟でも不利な裁断を受けたり、正直で直情径行な性格のために、 あらぬ疑いを受けたりするうちに武士という家業に嫌気がさしていったようだ。また、敦盛のことが心の中に影を落としていたのであろう。 53歳の時に突如として剃髪し、名を蓮生(れんしょう、れんせいとも呼ばれる)と改め仏門に入った。
法然と出会い、熱心な念仏行者となった蓮生には、「※東行逆馬」「※十念仏質入れ」等々、さまざまな逸話が残っている。                      直実は、承元元年(1207)に熊谷氏館で67歳の生涯を閉じたが、その死を自ら予告し、 その予告通りの大往生を遂げたという。
生前、直実は館内に草庵を建てていたが、戦国時代に幡随意上人が草庵跡に熊谷寺(ゆうこくじ)を建てた。
尚、直実が出家した後の熊谷氏は、嫡子直家の代以降、奥州や防長2州などに領地を拡大し、全国に広がっていった。 安芸の熊谷氏は毛利家の重臣として活躍している。

【敦盛の最後】
一の谷の戦いで敗れた平家一門は四国に逃れようとしていたが、沖に浮かぶ舟をめざしている武者一騎を見付けた直実は「かへさせたまへ」 と扇をあげてまねいた。とって返した武者を波打ち際で組み伏せ、首を掻こうと顔を見ると、息子の直家と同じくらいの年齢の若武者であった。 助けようとしたが、味方の軍勢も追ってきており、泣く泣く首を落とした。
直実は、平経盛の子敦盛としり、命のはかなさと武士の宿業のおぞましさに、発心の思いが募ったといわれる。
そして、直実は敦盛の遺品を敦盛の父経盛に消息状を添えて送った。経盛は、直実の心のこもった行いに感激し、直実宛に返書をしたためた。 これが「経盛返し状」といわれるもので、現在も高野山の熊谷寺(ゆうこくじ)に保管されている。
心に痛手を受けた直実は、一の谷の戦いを最後に、戦場の第一線から姿を消し、武将としての活躍を終えたのである。

【東行逆馬】
極楽浄土のある西方に背を向けない 「行住坐臥不背西方」の戒めを固く守り、建久6年(1195)の関東下向にあたり、馬に鞍を逆さにおき、 自分も反対向きに乗ったといわれるもの。

【十念仏質入れ】
路銀に不自由した(盗賊に襲われ銭を奪われたという説もある)蓮生が質の代りに念仏を10遍唱えると蓮の花が突然現れる(或いは、 金色の阿弥陀如来化仏が出てくる)。そして、京に帰るときに再び立ち寄り、銭を返し、質物の返却を蓮生が求め、 貸主に念仏を10遍唱えさせ浄土宗への教化を行なうというもの。

『中世武蔵人物列伝・埼玉県立歴史資料館Ⅱ編(さきたま出版会刊)他参照』 

現況・登城記・感想等

熊谷寺(ゆうこくじ)が館跡の一部とされる。往時は公民館や裁判所辺りまでをも含む広大な範囲だったのだろう。
遺構は全く残らず、 また館跡を示す石碑などもないようだが、子孫の熊谷直鎮が建立したとされる直実の墓や出家して蓮生と名乗ってからの像があるようだ。(尚、 熊谷北口駅前にも騎乗した武者姿の直実の銅像が建てられている。)
熊谷寺は閉門厳しい寺で、原則として墓参シーズン以外の日曜日9:00~16:00、事前予約申込者のみ参拝可だそうだ。
今日は、金曜日。無理だろうとは思いながらも、念のために行ってみたら、門が閉ざされ、駐車場もシャットアウト!
止むを得ず、多分、熊谷市で唯一のデパート八木橋(熊谷寺のすぐ前)の駐車場に車を停め、熊谷寺の門と本堂の写真を撮った。
そして、ネットで調べた熊谷市の名物「カキ氷・雪くま」を食べに八木橋の7階の「フレンズ」へ・・・(笑)。「雪くま」は美味かったし、 また日曜日に出直すとするか(苦笑)。
(2009/08/28訪れて)

ギャラリー

熊谷駅北口前の熊谷直実の銅像

雪くま
今回の登城にあたって、ネットで熊谷市の名物を調べたら「かき氷・雪くま」というのを見付けた。 今日は朝から強烈な蒸し暑さ。ましてや酷暑で有名な熊谷である。当然のごとく・・・。「雪くま」も、店によって、 いろいろな種類があるらしいが、今回、食べたのは八木橋百貨店7階のフレンズの「蜂蜜カキ氷」というものだ。 一般的なカキ氷が氷の粒がジャリジャリした食感なのに対して、ふんわりとした食感のカキ氷と蜂蜜・バニラソフトとのハーモニーが見事。 美味しかった。真夏の暑い最中の逸品だ(笑)。

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コメント

ンくうたら(2010/07/24)

>>一般的なカキ氷が氷の粒がジャリジャリした食感なのに対して、ふんわりとした食感のカキ氷と

昔はそれが普通の「かき氷」だったんですワ。
フラッペとか言もんが流行りだして、
いつの間にか、「砂」みたいにジャリジャリするようなんが
普通になったん、30数年ぐらい前ヤいうのは
ちょっと年寄りやったら、みんな知ってることですわナ。

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