武蔵 久喜陣屋(久喜市)

陣屋跡の御陣山児童公園と首塚跡

徳川譜代旗本米津氏5代113年の陣屋

所在地

久喜市中央4丁目、久喜市中央公民館・御陣山児童公園・天王院一帯
久喜市中央公民館:中央4-7-7、電話0480-21-1550

形状

陣屋

現状・遺構等

現状:市街地(久喜市中央公園、御陣山児童公園など)
遺構等:なし

満足度

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訪城日

2009/08/28

歴史等

天正18年(1590)、徳川家康が江戸に入府すると、譜代の旗本で、三河国に本貫をもつ米津田政(よねきづみちまさ) に武蔵国都筑など5郡合わせて所領5千石が与えられた。
寛永2年(1625)、跡を継いだ田政の子・米津田盛(みちもり)は、寛文6年(1666)に大坂定番に昇進し、摂津・ 河内両国内に1万石を加増され、1万5千石の大名となった。
貞享元年(1684)、田盛の子・政武は3千石を弟に分与して1万2千石を領し、のち領知替えにより武蔵・上総・下総・ 常陸国内に11郡を領し、貞享2年(1685)久喜に陣屋を構えた。
陣屋は、政武、政矩、政容、政崇、通政の5代113年の根拠となったが、寛政10年(1798) 通政が出羽国村山郡内に転封され陣屋を長瀞に移築し、 陣屋は廃された。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)他参照』

現況・登城記・感想等

久喜市中央公民館・御陣山児童公園・天王院周辺が久喜陣屋跡であるが、遺構は全く残っていない。
周辺では、昭和47年(1972)から12度にわたって発掘調査が行われ、縄文時代の住居跡、江戸時代の構掘・井戸などが確認され、 井戸の中から鍔、責金具、目貫なども出土しているそうだ。
中央公民館の裏手の御陣山児童公園に塚があり、その裏側に「この周辺が御陣山と称し、首塚の趾であったことが霊能者によって発見された・・・ 」と記された無気味な?石碑が供養塔とともに建てられているが・・・?
(2009/08/28訪れて)

ギャラリー

陣屋跡一角の塚の裏手にある無気味な?石碑と供養搭
石碑には 「此ノ周辺一帯ヲ御陣山ト称シ往時首塚ノ跡タリシ事ヲ霊覚者角沢栄一先生ノ法眼ニ依リ発見サレタルモノナリ 滋ニ供養塔ヲ建立シ武将士竝ニ萬霊ノ成仏供養ヲシ霊地ヲ保存シ之ヲ後世ニ伝へ以テ久喜町ノ繁栄ヲ希念ス 合掌」 とある。

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