路地沿いの小さなスペースにたつ石碑と標柱
忍城を本拠とする前の成田氏の館
所在地
熊谷市上之545-5
【行き方】
17号線熊谷バイパスの「上之信号」から路地(一方通行)を200m強南下すると、西(右)側路地沿いに標柱と石碑がある
形状
館
現状・遺構等
現状:宅地等
遺構等:標柱、石碑
満足度
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訪城日
2009/09/06
歴史等
武蔵国騎西郡成田郷(現熊谷市)に生まれた成田氏の出自には諸説あり、平安時代に栄耀栄華を誇った藤原道長の末裔とも、
摂政太政大臣藤原伊尹の4代・宣直が武蔵守を拝命し成田郷に下向したことからはじまるとも、或いは、小野篁9代泰が武蔵守に任ぜられ、
その子・義孝が武蔵七党の横山党を起こし、その孫・成任が成田氏を名乗ったとも言われる。いずれにしても、成田氏は武蔵国の名族であった。
いずれにしても、系図上の人物ではっきりしてくるのは助隆からで、助隆がはじめて成田氏を名乗っており、
助隆が成田氏の初代として考えられている。
この助隆から親泰までは居城を上城(成田氏館)に構えており、親泰が文明年間(1469~87)に忍一族を滅ぼし、忍城に本拠を移したといわれる。
『「歴史と旅・戦国大名家総覧(秋田書店刊)」、「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)」他参照』
現況・登城記・感想等
成田氏館は路地沿いの小さなスペースに石碑と古ぼけた標柱がたつのみである。
標柱には、何らかの説明が書かれているが、ほとんど消えてしまい読めない。
(2009/09/06訪れて)