昼なお暗い「クラン坂」
房総酒井氏5代100余年の本拠
読み方
とけじょう
所在地
千葉市緑区土気町(高齢者賃貸住宅「土気城趾 ひまわりの郷」周辺一帯)
「土気城趾 ひまわりの郷」:土気町826、電話043-310-5615
形状
平山城(標高100m、比高60~70m)
現状・遺構等
【現状】 宅地、畑、高齢者賃貸住宅「ひまわりの郷」他
【遺構等】 曲輪、空堀、土塁、土橋、切通し、石碑、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2006/11/18
2012/01/23
歴史等
土気城は、平安時代の鎮守府将軍であった大野東人が東北地方の蝦夷に対する軍事拠点の一つとして砦(貴船城)を築いたものと伝えられている。
鎌倉時代に入り千葉氏の一族相馬胤綱の次子土気太郎が土気の荘の地頭に任ぜられ居住したと言う。戦国時代には畠山氏の居城となった。
その後、長享2年(1488)下総中野城主であった酒井定隆が、この土気城を攻略し、城を修復して入城した。そして、定隆は、安房の里見氏をはじめとする房総の諸豪族との間で、同盟と裏切りを重ねながら、領土を拡大し、5代100余年間に亘って上総の地に君臨した。
しかし、天正18年(1590)の小田原の役で、城主酒井康治は後北条氏に与したため、豊臣秀吉により、所領を没収され滅亡し、土気城も廃城となった。
『「現地説明板」、「貴船城説明板」、「日本の名城・古城もの知り事典(主婦と生活社刊)」参照』
現況・登城記・感想等
土気城は、本丸・二の丸・三の丸からなる連郭式の城郭である。
標高約100m、大網側の金谷集落(城の北東)とは比高60~70mの台地上にあり、東南には深い谷が延び、西方には外堀を穿ち、北側の本丸下は急崖となって、外部と遮断している要害堅固な城郭だったようだ。
本丸、二の丸の一部に日本航空研修センター(現在は高齢者賃貸住宅「ひまわりの郷」)が建ち、一部地形も変わっているが、幸いにも遺構の大幅な破壊は行われていないようだ。ただ、まるっきり整備がされていないので、折角良好に残る空堀等が明瞭に見られないのが残念だ。
それら遺構の中で、圧巻は、搦手方面の「クラン坂」だ。非常に高い垂直切岸・切り通しが延々と続く「クラン坂」は、昼間にも関わらず薄暗くて、迫力があるとともに不気味でさえある。
ギャラリー
縄張図(現地説明板より)
大手入口付近の土塁
大手から入って行くと、右手に櫓台のような土塁があり、その上に「貴船大明神」が祀られた祠と石碑が建てられ、土塁の下には土気城が築かれる前の砦「貴船城」の石碑(説明付き)も建てられている。土塁は、その櫓台から奥へ続いている。
土塁外側の空堀
深さ6m、幅8mほどある規模の大きいもので、道の両側に確認できるが、とても入って行けるような状態ではない薮だ(/。ヽ)。この堀は、城の西側を防御する外堀へと繋がっている。
三の丸
三の丸は、東西約180m、南北約250mの大きな曲輪であるが、今は畑になっている。
説明板と馬頭観音
三の丸跡の中央部に説明板が設置されている。
二の丸への虎口
三の丸と二の丸の間は、二重空堀で区画されている。空堀は、良好に残ってはいるものの、入って行くどころか、よ~く覗かないと中が見えないほどの藪だ(/。ヽ)。写真正面は高齢者賃貸住宅「ひまわりの郷」。
二の丸手前の空堀
二の丸手前の空堀(上写真の奥)は、右側は薮が掃われて新しい石垣で固められているが、左側は強烈な藪。あまりにも極端だw(*゚o゚*)w。
土橋
空堀には土橋が架かっているが、正面は高齢者賃貸住宅「ひまわりの郷」なので入って行けないので、右手側道へ・・・。
土塁
空堀の北側(二の丸側)には僅かに土塁も残っている。写真左の道を通って二の丸跡へと・・・。
二の丸跡(北西部)
二の丸跡は、以前は日本航空研修センター敷地となっていたが、現在は高齢者賃貸住宅「ひまわりの郷」になっている。
二の丸跡(南東部)
二の丸の南東部分は、以前は日本航空研修センターの運動場になっていたが、今はどうなのかな?
本丸
本丸は、往時は西側は空堀、南側は切通し「クラン坂」で区画されていたようだが、空堀は、埋め立てられている。尚、北側から東側にかけては急崖になっている。本丸は、「ひまわりの郷」の敷地になっていて入れないが、以前来た時には、日本航空研修センターの管理人さんに入れてもらい写真を撮ることができたので、その時の写真を掲載しています。
本丸土塁
本丸の西側には土塁が残っている。
城址碑
本丸跡には、高さ・幅とも2m近くある立派な城址碑が立っているが、1971年、日本航空研修センターが建設された時に、松尾静磨日本航空社長(当時)が、自筆の「土気城跡」の石碑を建立したものだそうだ。
クラン坂①
クラン坂は、クラミ坂とも呼ばれ、昼なお暗いところなので、そう呼ばれているとも(闇坂)、坂の上に倉があったので「倉坂」から来たともいう。非常に高い垂直切岸・切り通しが延々と続く「クラン坂」は、昼間にも関わらず薄暗くて、迫力があるとともに不気味でさえある。
クラン坂②
周囲は、宅地開発が進んでいるが、このクラン坂を通る人は、ほとんどおらず(私は、一人も出逢わなかった)、かなり荒れた所もあり、木や竹が倒れていたり、薄気味悪い。
土気城主之御墓所
城址の北西約800mの土気北宿には「お経塚」と呼ばれる塚群があり、土気酒井氏5代の墓所と伝えられる。ここには、酒井氏に関する説明碑が建てられている。