一夜城公園に立つ「一夜城史跡」と刻まれた大きな石碑
上杉謙信が臼井城を攻撃するために築いた陣城
所在地
千葉県佐倉市王子台3丁目謙信一夜城公園(京成臼井駅の南300mほどの児童公園)
形状
陣城
現状・遺構等
現状:宅地、児童公園(一夜城公園)
遺構等:石碑のみ
満足度
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訪城日
2008/02/13
歴史等
上杉謙信が臼井城を攻撃するために築いた陣城と伝わる。
永禄9年(1566)年春、上杉謙信は上州に入り、下総小金を経て、
同年3月臼井城下に着到した。臼井城の原胤定は本佐倉城主千葉介胤富の援護を得て、
両軍とも1ヶ月余り膠着状態となった。
そうこうする中、上杉氏の陣営に足利将軍から上洛を促す書状が届いたこともあり、翌4月謙信は越後へ引き揚げた。
『現地石碑裏側の説明より』
しかし、亥鼻城内展示資料など他の資料等を調べてみると、
実際は、臼井城側は、初めは
「城は一重を残すだけになった」など苦戦をしたが、反撃に転じ、謙信は5千余の死傷者を出して敗退したとあり、こちらが事実のようだ。
現況・登城記・感想等
謙信一夜城は、遺構は当然無く、住宅地のど真ん中に、100m四方ほどの「一夜城公園」と名付けられた児童公園があり、「一夜城史跡」
と彫られた、巨大な石碑が建っているだけである。しかし、完全な逆行で写真には「一夜城史跡」の文字が写らなかった。
石碑の裏側には「謙信一夜城の由来」となっているが、ほとんどが謙信の業績の説明だ。
また、発掘調査がされ、中世城郭の遺構も確認されたとある。それなら、せめて発掘調査状況の写真なり説明板があってもいいようなものだが!?
(2008/02/13訪れて)
ギャラリー
石碑裏の「謙信一夜城の由来」の銘文