勝浦燈台側から眺める勝浦城址(八幡岬)の絶景
お万布晒しの伝説が残る勝浦正木氏の絶景の地の城
所在地
千葉県勝浦市浜勝浦(八幡岬公園)
形状
海城
現状・遺構等
現状:八幡岬公園
遺構等:曲輪、堀切、石碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2008/09/02
歴史等
勝浦城は、将門の乱の参謀格興世王が砦を築いたあとで、鎌倉時代には上総広常の支城となった。
天文11年(1541)の頃、勝浦正木氏の初代正木時忠が入城、それ以前は真里谷武田氏の砦のようなものであったろうと言われている。
その後、2代時通、3代頼忠の居城となる。
しかし、天正18年(1590)、豊臣秀吉により安房里見氏が領地の一部を没収されると、
里見氏と親交のあった勝浦城主正木頼忠も城を明け渡し、安房に逃れた。
勝浦周辺には、「お万布晒し」の伝説がある。天正18年(1590)、後北条氏が秀吉に攻略され、滅亡すると、
勝浦城も本多忠勝や植村泰忠らの軍勢に攻められて落城した。この時、城主正木頼忠の14歳の息女お万は、炎上する城を後に、
母と幼い弟を連れて八幡岬の東側40mの断崖に白い布を垂らして海に下り、小舟で館山方面(伊豆に逃れたともいう)に逃れたというのである。
お万は、のちに家康の室となり、「養珠夫人」と称され、紀伊徳川頼宣、
水戸徳川頼房の2子を産んだ。
つまり、水戸光圀はお万の孫に当る。
『「現地説明板」、「臨時増刊歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)」他より』
現況・登城記・感想等
勝浦城址は、東・西・南の三方が太平洋に突き出た八幡岬上の断崖絶壁の天然の要害にあり、そこから眺める眺望は素晴らしい。
また、北東対岸の勝浦燈台側から見る勝浦城址(八幡岬)の姿はまさに絶景である。
しかしながら、城郭遺構は少ない。尤も、天然の要害地にあることから、土塁や空堀等々防御施設も最小限でよかったこともあるのだろう。
極論すれば、半島の付け根部分を堀切で断ち切っておけば充分だったのでは?
(2008/09/02登城して)
ギャラリー
主郭(主郭南西部から撮影)
主郭は岬の最南端にある。写真左はお万の銅像。右遠方に勝浦燈台が見える。
主郭からの北東方面の眺望 ~クリックにて拡大画面に~
主郭からの眺望は実に素晴らしい。奥の半島上には勝浦燈台が見える。眼下は断崖絶壁。「お万布晒し」
の崖ははもっと北東斜面(八幡神社の裏手)であるが、危険なため立ち入り禁止。
主郭から太平洋(南方面)を望む
南方面は太平等の水平線が。船が時々通るのが見える。勿論、この下も断崖絶壁。
二郭
二郭は、ちびっ子広場になっている。主郭は右の山で、写真中央右の階段を登って行く。
船溜り?
二郭の西側は入り江になっている。往時は、軍船を繋留していた船溜りであったのだろう。
二郭から八幡神社への入口を見上げる
ここには、「勝浦城址」ならびに「養珠夫人誕生の地」の碑が建っている。
八幡神社は城内最高所にあるが、城郭遺構はよくわからない。物見台でもあったのかも。神社裏手が「お万布晒し」
の崖ということだ。
勝浦城址(八幡岬)遠景 ~勝浦燈台近くから撮影~
ここから眺める勝浦城址(八幡岬)の姿はまさに絶景だったが、残念ながら逆光で上手く撮れなかったのが残念!
!午前中に来て、撮り直したいものだ。
【温泉&海の幸】
勝浦と言えば、温泉と海の幸であろう。という訳で、城めぐりが終わったら・・・。
(勝浦つるんつるん温泉)
住所:勝浦市松野1143、電話:0470-77-0311
勝浦温泉とは言いながら、勝浦市街地からは10km近く山の中に入った所にある。お湯は黒くて、
名前の通りつるんつるんで、北海道の十勝川温泉を彷彿させるが、露天風呂等もなく、内湯のみ。おまけに部屋には、
空調機もなく暑かったのには参った。
(鮨 成田家)
住所:勝浦市勝浦59-2、電話:0470-73-0531
綺麗な店で、鮨(松:2,100円)も写真の通り上品だ。非常に美味しかったが、ボリューム的にちょっと足りなかったので穴子(2巻1,
200円)を追加。多少高いが、その穴子が絶品だった。ワタリガニの味噌汁(500円)もなかなか美味しかった。